セクシャルブックマーク

〜レス妻の目覚めの記録〜

気づきと癒しのプロセス

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気づきと癒しのプロセス

 

前回、前々回の記事

 

の経験を経て、自分のこと、ちゃんと幸せにしてあげたいと思った私は、行動に移します。

 

といっても、何か大きな行動に出たわけではありません。

 

まずは心の声をキャッチすることから始めました。

 

心の声は小さく萎縮した状態なので、「私がこれがしたい!」「こういう時が幸せだ!」なんて大きな顔をしていないのです。

 

うっかりすると見落としてしまいそうな小さなところに、シグナルを発しているのです。なので、そのシグナルを注意深く観察していきました。

 

 

日常生活の中の小さな違和感に気づく

例えば主人とのこんな会話の中で…

 

私「今度の休み、子どもたちと○○の映画を観に行こうと思って」
夫「あぁ、あれな。面白ないで」

 

以前の私なら、こんな風に言われたら、そうか面白くないのかと映画を観に行くのをやめていました。主人の価値観に合わせないといけないと、どこかで思い込んでいたからです。ほんとは観たかったんだけどな、というひっかかりを感じながらも飲み込んでいました。

 

でもそんな違和感の向こう側に自分の心の声があることに気がつくと、

「お父さんにとっては面白くないかもしれないけど、私や子どもたちがどう思うかはまた別やし、観に行ってくる」

と伝えられるようになりました。相手の価値観への依存から切り離しが起こりました。

 

人に対して向けた不満は自分へのメッセージ

また例えば…

休日に、主人に子どもたちを公園に連れて行って欲しいと頼んでも、なにか理由をつけて連れて行ってくれず、いつも不満でした。子どもたちのために、もっとフットワーク軽く行動して欲しいと思っていました。

 

でも、よくよく考えると実は私も子どもたちに対して同じことしていたんです。

 

例えば子どもが何かのおもちゃで遊んでる時、「おかあさん、できた、見てー」と言った時、「今、用事してるから後でな」と返していました。

 

自分のペースを崩したくなくて、私こそ全然フットワーク軽く動けていなかったんですよね。さらに言うと、本当は自分自身が身軽に動けるようになりたい、でも動けない苛立ちを主人にぶつけていたんだとわかったんです。

 

その後、子どもが「見て!」と言ったとき、できる限り手を止めて見に行くようにしました。休日には、「よし、○○へ遊びに行こう」と決めて、車の運転が苦手だけれど、さっと自分で運転して出かけてみたりもしました。

 

すると、これまで自分の中の溜まっていた不安や不満が、ふっと和らいでいったのです。また子どもの頃、母が私の頼みごとにすぐに応えてくれた時の安堵感が蘇ってきたりもしました。

 

人に対して向けた不満は、本当は自分自身への大切なメッセージだったのです。

 

 

 

子どもの頃好きだったものを思い出す

小さな自分の声に意識的になっていくうちに、子どもの頃になぜだかわらかないけれど惹かれていたものを思い出していきます。

 

その一つがギリシア神話なんですが、当時もっと知りたいと思いながら、子どもの自分でも読めるような本に出会うことができず、そのままになっていました。

 

そのことを思い出し、子ども向けのギリシア神話の本をアマゾンで探して購入し、寝かしつけの時に読み聞かせしてみました。すると、なんとも言えない満足感が起こってきたのです。また、その本を子どもたちが興味を持って聞いてくれることに、喜びを感じたりもしました。

星と神話 物語で親しむ星の世界

 

 

自分のために行動する

若い頃に好きだったアーティストがいたのですが、気がつけば全く聴かなくなっていました。ある時その人の新曲が耳に入ってきて、懐かしさと嬉しさが込み上げ、アルバムを買って聴くようになります。


やがて、ライブに行きたいと思うようになりますが、子どもが小さいから無理だと諦めていました。でも、よくよく考えてみたら、誰からもライブに行くななんて言われてないんですよね。


そこでまず、主人にきくと「自分は仕事で子どもたちをみれないけど、それがクリアできるならどうぞ」と(条件付きでしたが)反対はされることはなく、母に相談すると、「子どもたちのことは見てるから、楽しんでおいで」と快く引き受けてくれました。

 

子どもが生まれて不自由になったように思っていたけれど、結局は自分で自分を制限していただけだったんです。いつもできない言い訳を一生懸命探していて、どうすればいいのか具体的に考えられなかったんだと気がつきます。

 

こんな風に、日常の小さなところに潜んでいる自分の欲求を見つけたり、子ども時代に惹かれていたものを思い出して満たすということをひたすら繰り返すことで、癒しが起こっていきました。

 

 

時間の使い方を見直す

気づきと癒しのプロセスを繰り返すと同時に、時間の使い方も見直していきました。

 

例えば今までは、仕事に、子育てに、家事に…やるべきことに追われていて、自分がしたいことをする時間が全然ない!といつも不満を抱えていたんですが、自分がしたいことをする時間を、たとえ1日10分でも確実に確保するようにし、それ以外の時間にやるべきことを振り分けるようにしたのです。

 

また、洗い物や洗濯物を干している時に、動画を見たり好きな音楽を聴くという風に、したいことと、すでにある習慣とをセットにする工夫もしてみました。先ほどの読み聞かせもこれに該当しますね。

 

すると、たくさんの用事に振り回されていた日々から、少しずつ時間を生み出していけるようになったのです。

 

 

そうやって少しずつ、意識の向け方と時間の使い方を変えていきました。

習慣を変えていった、と言ってもいいかもしれません。

 

 

(続きの記事です)