セクシャルブックマーク

〜レス妻の目覚めの記録〜

江戸の人々はどんなセックスをしていたか:素人編

このブログが初めての方→ 目次 >>第一部 : >>第二部 | ブログ感想

男女色交合之絲 アムステルダム国立美術館

"Imayo irokumi no ito" owned by Rijksmuseum - Europeana

 

の続きです。

 

今回は、江戸のリアルな性生活を明らかにしていきます。性を謳歌していた人々のセックスは、一体どのようなものだったのでしょうか。

まずは素人編についてご紹介します。

  • 本からの要約部分は、「〜だ」「〜である」調になっています。
  • 当時の文献は、大きく春本と戯作(人情本、洒落本、滑稽本など)に分け、ノンフィクションは書名だけで記しています。
  • 記事中に差別的な表現が出てくることがありますが、当時の社会的、文化的状況が反映された表現ですので、ご理解をお願いいたします。

 

 

ある男女の交接場面

庶民の若い男女

庶民の娘は十五、六歳までにたいてい男を知っていたという。初体験はどのようなものだったか。

春本『花以嘉多(はないかだ)』より。


やっとのことで庶民の娘を料理屋の二階座敷連れ込んだ、若い男とその娘の会話。

「サァ、もっとこっち寄んな。コレサ、また股座(またぐら)をつぼめるヨ。なぜ、そんなにいやがるだろう」

「それでも、なんだか怖いものを」

「なあに、怖いのはちょっとのうちだ。や、どっこい、ソレ、指がへえった。そんなにブルブルふるえなさんな。しかし、手入らずはここがありがてえのう。痛かあ、あるめえ」

「アア」

「入れてみようか」

「どうとも」

※1 p22−23

予期はしていても、いざとなると恥ずかしさと怖れからためらう女を、男が強引に押し切り破瓜(はか=初体験)に持ち込む。ついに「どうとも」と挿入を許す女。

 

 

旗本の息子と女中

春本『会本何賊枕(えほんかぶまくら)』での書入れより。

恥じらう女の陰部を指でくじりながら、男が迫った。

「おめえ、承知すると、誓って女房にする。なにも恥ずかしいことはない。返事をしな」

「どうも、わたしゃ怖い」

「それそれ、いっそううるおいが下から出た。もうもう、こたえられぬ。サァサァ、俺がいうことをききな。このようにふっくりとして、いっそぬらぬらしているものを、どうしてこらえられるんだ。痛くないようにするから、さあさあ」

※1 p24−25

情欲にかられた男の行動や心理、口説き文句は武士も庶民も違いはない。

なお、男は「やらせてくれれば女房にするから」と誓っているが、武士の結婚は家格のつりあいを考慮して親同士が決めたため、まず実現は不可能である。女は処女を奪われたあげく、いずれ屋敷を終われる羽目になったであろう。武家屋敷では女の奉公人の立場は弱かった。

 

 

機密性もプライバシーも十分な明かりもない住環境

当時の住環境

当時の木造家屋は壁が薄くて防音効果は無に等しく、どこで盗み聞きされているか、あるいはのぞき見されているかわからない。武士の妻などは房事のとき、高まりを覚えると寝巻の袖を歯で噛んで声を殺したという。

 

また、ふいに人が入ってくることもあった。

春本『逸題組物(いつだいくみもの)』では、姉が昼間から男と情交しているところへ、弟の留が襖の奥からのぞいている場面が描かれている。

「おやおや魔羅をするわ。母さんに言いつけようやぁ」

女が慌てて中断しようとした。

「あれ、留が声がする。まず、やめなよ」

「はて、大事ない、もういくよ」

※1 p80−81

幼い弟は、すでに男と女が性交するのを知っていた。女が中断しようとしたが、男は続けた。

 

夜這いは手探り状態

春本『好色末摘花(こうしょくすえつむはな)』に、夜這いの光景が描かれている。

えいやっと夜ばいは是(ここ)にたどり付き

※1 p75

暗闇のなかを手探りで進んで、ようやく女のもとにたどりついた男の川柳である。

 

『事々録』では、旗本の息子が夜、下女の部屋に忍び込んだ時、下女は夜這いの相手を主人の息子とは知らず、下男の一人と思い込み、思い切り蹴りつけた。打ち所が悪かったのか、息子は「ギャッ」と叫んで悶絶し、そのまま死亡した。

 

また、京都の大原では、一夜限りの集団夜這い「大原雑居(魚)寝」という習慣があり、この夜だけは、他人の妻や娘と遠慮なく情交できた。ただし、暗闇であったがため、目当ての相手にたどり着けず、老婆や我が女房に抱きつくこともあったとか。 

 

 

着物をきたままの性行為

江戸ではセックスをするとき男女ともに全裸にはならず、着物のままだった。少なくとも寝巻きは着ていたし、なかには、夜着(よぎ)(=袖のついた当時の掛布団)にくるまったままの性行為もあった。

 

春画では男女がみな着物を着ているのは、衣装で身分や職業などを表す意図もあったが、着衣のままの性行為はありのままの姿の反映でもあった。

 

当時の木造建築は機密性がなく、暖房もせいぜい火鉢か炬燵(こたつ)で、部屋全体をあたためることはできない。冬のあいだは男女が全裸になって抱き合うのはとうてい無理だった。まして庶民の多くが住む裏長屋には暖房もない。寒い時期には、夫婦は布団にもぐりこみ、寝巻きのあいだからわずかに性器だけを出して情交した。

 

ごく少ないが、男女が真っ裸になって交わっている春画もある。真夏であれば男も女も全裸になれた。この時期だけは、冬には叶わない曲どり(正常位以外の、変わった体位のこと)を楽しむことができた。

 

一方、冬は冬で炬燵でするセックス「こたつつび」を楽しんでいた。

 

なお、

女性器はもっぱら「ぼぼ(漢字表記では開)」、「つび」
男性器はもっぱら「魔羅」、「へのこ」というのが一般である。

 

早熟な子ども

春本『祝言色女男思(しゅうげんいろおんなおし)』には、男の子が自分の陰茎を、女の子の陰部に押しつける光景が描かれている。ままごと感覚で「夫婦ごっこ」をしているのである。

江戸の庶民の大部分が住む裏長屋は極端に狭く、土間と台所とせいぜい六畳の部屋がひと間あるだけ。当時の子供の多くは両親が夜中に情交しているのをちゃんと知っており、性にたいして早熟だった。

 

 

場所はどこでも

外に連れ出して逢引する方法もあった。

一つは出合茶屋である。現在のラブホテルに相当する密会の場で、不忍池(しのばずのいけ)のほとりのほか、江戸の各地で目立たないように営業していた。

料理茶屋、船宿の二階座敷を借りる方法もあった。

さらに船宿で屋根船を雇い、隅田川に漕ぎ出してもらうやりかたもあった。船頭が気を利かせて、静かな岸辺に舟を泊め、「あっしはちょいと買い物にいってきやす」と、しばらくのあいだ二人きりにしてやることもあった。

 

多くの貧しい庶民には、出合茶屋や料理茶屋、船宿、屋根船を利用するなどとうてい無理だったが、できるところならどこでも利用した。

極端な例にはなるが、春本『百色初(ももいろはじめ)』では、便所で交接している男女が描かれている。足元には便所用の下駄をはいている。

 

 

* * *

 

いかがでしたでしょうか。

どこで聞かれているか、誰が入ってくるかわからない、寒いうえに、暗がりで顔もよくわからない中での交わり…現代の感覚からすると受け入れ難い事ばかりですが、それでも工夫しながら情交している人々の様子には、一種のたくましさを感じました。そしてそんな大人たちの様子を、ごく身近なところで感じ、観察している子どもたちの様子にも驚きを隠せませんでした。

 

春画の中の男女はなぜいつも着物をきたまま性行為をしているのか、という疑問の答えもそのまま書いてありました。当時の住環境によるものだったのですね。夏だけは唯一身軽に楽しめたようです。

 

ちなみに、もう一つの「遊女はなぜ帯を前で結んでいるのか」の疑問について。

今回は素人編についてまとめた記事ですが、これについても触れておくと

古くは男女とも、年齢を問わず後帯であったが、桃山ごろから成年の女性、ひいては遊女など前帯をするようになる

"後帯". 角川古語大辞典. KADOKAWA. ジャパンナレッジ, https://japanknowledge.com/, (参照 2021-02-03)

とあり、時代にもよりますが、前結びは遊女を表す様式だったようです。

 

次回は玄人編です。

 

 

 

(つづきの記事はこちら)

 

引用・ 参考文献
※1)永井義男. お盛んすぎる江戸の男と女. 朝日新書, 2012.
※2)永井義男. 江戸の売春. 河出書房新社, 2016.
※3)氏家幹人. 江戸のエロスは血の香り. 朝日新聞出版, 2010