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〜レス妻の目覚めの記録〜

江戸の人々はどんなセックスをしていたか:玄人編

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春画 ハンブルク美術工芸博物館

Shunga owned by Museum für Kunst und Gewerbe Hamburg- Europeana

 

の続きです。

 

性を謳歌していた江戸の人々のリアルな実態とは。

前回の素人編に続き、今回は玄人編としてまとめました。

遊女たちがどのような環境で客と交わっていたのか、また遊女の性技や揚代についてみていきます。

  • 本からの要約部分は、「〜だ」「〜である」調になっています。
  • 当時の文献は、大きく春本と戯作(人情本、洒落本、滑稽本など)に分け、ノンフィクションは書名だけで記しています。
  • 記事中に差別的な表現が出てくることがありますが、当時の社会的、文化的状況が反映された表現ですので、ご理解をお願いいたします。

 

遊女たちの床環境

割床

吉原の遊女には厳格な階級があり、大きく、上級遊女(花魁)、下級遊女(新造)、それに見習いの禿(かむろ)に大別できる。

花魁は個室を与えられており、ここに客も迎えたが、新造は居室はなく、大部屋で雑居していた。客を取るときは共用の廻し部屋を用いた。

廻し部屋もまた大部屋で、寝床と寝床の間を屏風でしきり、割床(わりどこ)にした。割床は屏風で仕切っただけなので、視覚は遮られるが、声も物音も筒抜けだった。

 

吉原でさえ割床だったから、岡場所は言うまでもなく、割床は当たり前になっていた。

 

汗を流さず床入り

遊里に歩いてやってきた客の男は、体は汗とほこりにまみれていた。しかし、シャワーはないためそのまま床入りする。遊女のほうも朝四ツ(午前十時頃)に起きて朝風呂に入ったあとは、翌朝までは入浴しない。しかも多くの場合、一日のうちに複数の客と情交する。

 

 

岡場所の切見世

岡場所でもっとも格安な店が切見世である。細い路地の両側に平屋の長屋が続き、わずか二畳ほどの部屋に遊女が住み、客を迎え入れた。

日が暮れると、切見世の細い路地は男たちであふれかえった。わずかばかりの銭を手にした男たちが束の間の享楽を求めて集まり、そんな様子を見物する地廻りもやってきたからである。

 

夜鷹

夜鷹はござ一枚をもって夜道に立ち、男を誘った。情交するのは暗がりに敷いたござの上である。野外で商売するため、牛(妓夫)と呼ばれる用心棒が付き添っていたが、たいていは亭主である。亭主が女房を売春させ、それを物陰から見守っていたことになる。

 

 

* * *

 

素人編と同様、現代の感覚では受け入れ難い事ばかり。当時、性は隠せないものだったようです。

 

 

次に、遊女のテクニックについて。

遊女は床上手、しかし感じてはいけない

遊女の性技

大坂の新町遊郭を舞台にした『色道諸分難波(しきどうしょわけなにわどら)』に、妓楼が遊女に性技を仕込んでいる場面がある。

其時ゆすり持ちとて、いかにも尻を締めて、わが身を左右へゆり廻しさします。尻をしむれば、玉門しまる故により、男の精汁はやう漏るるが様にしますれば…

※1 p170

肛門を締めることで膣が締まると指導している。

 

また、京都の島原を舞台にした『けいせい色三味線』によると

床での虚啼(そらなき)、目付かすかにして、結髪の乱るるもおしまず、枕はずして足の指をかがめ、両の手にて男をしめつけ、息づかい荒く…

※1 p175

乱れてみせる演技が記されていた。

  

 

男たちの反応

そんな遊女の性技に男たちは骨抜きになった。

吉原を描いた春本『絵合錦街抄(えあわせきんがいしょう)』では、大身の武士が花魁と交わりながら

こうしたところは西の国で百万石取ったよりありがたい。人の来ぬうちは、いつまでもこうやっていたい。アアもっときつく持ち上げてくんな。おまえは誠の上開、いいともなんとも言いようがない明開だ

※1 p172

と玄人の卓越した性技に感激している。

 

 

また、遊女の淫声は男を狂喜させた。春本『願いの糸ぐち』に書かれた男の懐術には

人の噂にやァ、ぬしは床で泣くということだが、このぼぼの味のいいうえに、泣かれちやァ、たまらねえ

※1 p176

遊女は「床で泣く」という噂があり、せつなく甘いよがり声をあげるので有名だった。しかし、よがり声は演技である。客の男はまんまとだまされたことになる。

  

感じるのは恥

一方、遊女は一日に何人もの男を相手にしなければならず、本気で感じていたら疲れてしまうため、「本気で感じるのは遊女の恥」と教え込まれていた。

『色道諸分難波』には

務める身が、常のおんなの様に、会う人会う人に精を漏らして、続く物ではござんせんねども

※1 p174

とある。

遊女は床上手に仕込まれていたので、その卓越した性技で男を悦ばせたが、自分は感じてはいけなかった。 

 

 

遊女の本音

さらに、遊女の本音はというと…

 

春画では指くじりを続ける客に、遊女が「早く入れておくんなんし」と挿入をせがむのは常套句である。これは早く終わらせたいからだ。

戯作『粋町甲閏(すいちょうこうけい)』では、酔ってなかなか射精しない客に、遊女がこう愚痴る。

ほんにおめえは、酒を呑みなんすと埒(らち)があかねえよ

※1 p178

長々と愛撫を続けてなかなか挿入しない男、あるいは挿入しても射精をこらえる男は玄人に嫌われた。

次の客が控えている遊女の本音は「早く入れ(挿入)て、早く出(射精)して」だった。

 

遊女が真に惚れた男

遊女が真に惚れた男が間夫(まぶ)である。情色(いろ)や色客、色男ともいった。

遊女は客との性行為では感じないようにしていたので、間夫との情交では身も心も解放して性を堪能した。間夫は年季が明けたら所帯を持とうと約束したが、実際に夫婦になるものはほとんどなかった。

 

 

* * *

 

遊女は、男を満足させながらも早く行為を終わらせたかった。そのために身につけた性技は、まるで現代のAV女優の演技を彷彿させると思ったのは私だけでしょうか。

 

AVは、基本的に男性を興奮させるために作られていて、女性が本当に感じている姿ではありません。以前ご紹介したAV男優一徹さんの本には「女性のイクシーンは監督に演技指導されていて、実際は毎回イッてるわけではない」ということが書かれています。

 

私はかつて、「セックスは男性を喜ばせるもの」と思い込んでいましたし>>詳細、アダム徳永さんの『男は女を知らない』には、本当は感じていないのに感じてる演技をしてしまっている女性がたくさん登場していましたが>>詳細、その起源はこの辺りから始まっている様な気がしました。

 

遊女をいかせたと信じた男は、きっとその時の様子を人に自慢したでしょうから、やがてその姿が男性の中のセックス像となり、それを女性も信じるようになったのかもしれません。

 

 

最後に、遊女の揚代(料金)も見ておきます。

 

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遊女の揚代と給金

江戸の女郎買いにはどれくらいかかったのか。

当時の通貨制度は複雑だったため、換算は難しいが、一両=十万円で換算した。時代は文化文政期。

 

吉原
揚代の最高額は、大見世の最高位の遊女、呼出し昼三は新造付きで一両一分(約十二万五千円相当)。新造付きとは振袖新造が共に従ってくること。

そこに、引手茶屋を通し、芸者を呼んで盛大な酒宴を開き、豪華な仕出し料、ご祝儀などを含めると、現代の感覚では一晩で百万円くらいになった。
下級遊女の新造を選び、酒宴などもいっさいしなければ、二朱(一万二千五百円)ほどである。

 

遊女の給金

遊女の給金は、前借という形で、たいていは親がすでに受け取ってしまっている。そのため遊女は無給だった。

もちろん、妓楼に住込みのため、最低限の衣食住は保証されていた。しかし、現実には金がないと着物の新調もできないし、髪飾りや化粧品も買えないし、買い食いもできない。そこで遊女は、手練手管のかぎりを尽くし、客に金をせびった。気前よく祝儀を出す客には、遊女も性技のかぎりをつくして堪能させた。

 

宿場
四宿の女郎屋は、四六見世(しろくみせ)が多かった。四六見世とは、昼間の揚代が六百文(約九千円)、夜間が四百文(約六千円)の値段設定である。宿場の高級店には揚代が二朱の遊女もいた。


岡場所
岡場所の女郎屋も四六見世が多かった。もっとも格安な女郎屋は切見世で、「ちょんの間」だった。ちょんの間とは、時間にしてわずか十〜十五分ほどの性行為で、線香を灯して時間を計った。
揚代は、天明の頃までが五十文、その後物価上昇に伴い百文(約千五百円)になった。

 

地獄

素人のひそかな売春である地獄は、揚代が二朱か一朱。

 

夜鷹

夜鷹の揚代は二十四文(約四百円)と言われた。
岡場所や宿場の女郎屋では通用しなくなり、食っていくためにやむなく路上に立つようになった女が多い。 

 

妾は口入屋を通す場合、二ヶ月契約で高い場合は五両、安い場合で二両くらいであった。

 

* * *

 

玄人の性事情を見ると、1日に何人もの客を、大部屋を屏風で仕切っただけの場所で、場合によっては見物客や夫に見られながら相手し、しかも遊女は無給(個人営業は除く)という…過酷な状況が浮かんできました。

 

 

過酷な状況はこれだけではありません。実は江戸時代の性生活を語る上で、とても大事なところにまだ触れていないからです。それは当時は安全で効果的な避妊・性病予防方法がなかったということ。次回はそれについてまとめていきます。

 

 

(つづきの記事はこちら)

 

記事の感想をいただきました!

私は歴史好きでTVの歴史番組はよく見ています。江戸時代の人たちの性の奔放さを説明されている部分は、TVの歴史番組をみているような気分だった気がします。急激に引き込まれていったのは、闇の部分とそれを受け入れていた江戸時代の人の異質さ(外国人から見て)でした。自分自身で疑問には思っていながら、私は踏み込んで知ろうとしませんでした

いちろー・男性

 

引用・ 参考文献
※1)永井義男. お盛んすぎる江戸の男と女. 朝日新書, 2012.
※2)永井義男. 江戸の売春. 河出書房新社, 2016.