私がこのブログを開設して、今日でちょうと1年になります。
このタイミングでこの記事を公開できること、とても感慨深く感じています。
「幸せなセックスって何?どうやるの?」と調べていた私は、アダム徳永さんのスローセックスというメソッドに出会った後、「人々はいつからジャンクセックスをするようになったのか」に関心を持つようになりました。
(ジャンクセックスとは、射精を目的とした一般的なセックスのことで、アダム徳永さんが使われている言葉 >>詳細 )
そして、江戸の性事情や、
- 遊女だらけに夜這いし放題!?江戸は性に寛容な社会だった?
- 江戸の人々はどんなセックスをしていたか:素人編
- 江戸の人々はどんなセックスをしていたか:玄人編
- 奔放さゆえの暗黒面
- 陽気で矛盾に充ちた昔の日本人 -『逝きし世の面影』
- 「江戸は性に寛容な社会だった」の意味を考える
古代中国の房中術
- たどり着いた日本最古の医学全書『医心方』
- 古代中国から伝わる交接の道『医心方・房内篇』
- もう一つのキーワード、還精補脳−『医心方・房内篇』その2
- 何千年と変わらない男女の性(サガ)−『医心方・房内篇』その3
と、古い時代をさかのぼっていくうち、一部の特権階級の人は、スローセックスの源流と思われる房中術を実践していたけれど、それを知らない多くの人々は大昔からジャンクセックスを繰り返してきたことに気がつきました。
交接の道を知らなければ、男性が陥ってしまう過ちは、遥か昔も現在も変わらず、多くの女性が傷つき続けてきました。
実は、これらを記事にしたい気持ちはずっとあったのですが、なかなか手をつけることはできませんでした。女性たちの痛ましい過去と向き合わなければならず、体力、精神共にとても消耗するのがわかっていたから。
実際、書き進めるほどに歴史の中で埋もれてきた女性たちの声が届くような感覚があり、それが自分自身のもののように感じられて苦しいものがありました。
自分の中に、自分のものではない痛みや悲しみが染み付いていて、誰かのリアルな辛い性体験を知るほどに、それらが自分の肉体と共鳴してしまうような感覚、といえばいいでしょうか。
実はこの感覚は、多かれ少なかれどの女性もお持ちなんじゃないかと思っています。
でも私は、女性たちの痛みや悲しみに飲み込まれないように境界線を引き、俯瞰しながら、しかし時には寄り添いながら、書いてきました。
そこまでして取り組んできたのは、その先にあるものをどうしても書かなくては、伝えなくては、という思いがあったからです。
一つは、女性が傷ついてきたその一方で、実は男性は男性で、ジャンクセックスによって女性からパワーを受け取れず、気づかぬうちに損傷を負っていたこと( >>こちらの記事)。
もう一つが、これから何回かにわけて書いていく記事になります。
男女の分断は一体何千年と続いてきたのか…もうこの分断を終わらせたい…と、気の遠くなるような時間の流れを感じながら、深く深く潜ってきた私は、今度は、なにか突き抜けたような、次元を超えたような情報に出会ったのです。
光のメッセンジャー
その情報とは、「光のメッセンジャー」というブログです。
SNSで友人がシェアしていたある記事がきっかけでたどりついたのですが、一見すると、一般の方が書かれた普通の日常ブログに見えます。
なんとなく気になって他の記事もいくつか読んでいくうちに、ある女性が、ある時から突然霊的なメッセージを受け取るようになり、受け取った様々な叡智を発信されているブログだと知ります。
その中で目にとまったのが「精神世界の科学 意識と身体のつながり」というカテゴリーでした。そこに、宇宙のしくみや人間という存在に関する情報がまとめられていたのです。
「精神世界の科学」や「霊的なメッセージ」という表現に、懐疑的になられたり、トンデモ系だとか、怪しいスピリチュアル系と思われる方もいらっしゃるかもしれません。どのように解釈されるかは、読まれる方の自由なので、そう思われた方はスルーしてください。
けれど私は、これらの記事を読むことによって、これまでずっと疑問だった様々なことがつながり、自分の内側が大きく変容していくような感覚を覚えました。
きっとこの情報を必要とされている方が他にもいらっしゃるように思いますので、ご紹介していきます。
もし「スピリチュアル=怪しい」と条件反射で拒絶があったとしたら、一つの「メタ認知※」の視点として捉えてみると、これまで見えなかった側面が見えてくるのではないでしょうか。
※心理学用語で、自分の行動・考え方・性格などを別の立場から見て認識すること。
精神世界の科学 意識と身体のつながり
記事は「その1」から「その18」まであり、一つ一つが長いため、要点だけご紹介します。要約することでニュアンスがうまく伝わらないこともあると思いますので、ピンときたものは、リンク先の記事を読まれることをお勧めします。
解説
まず最初に、「精神世界の科学。意識と身体のつながり」では、
- 意識が人生や現象にどれほど強力に影響しているか
- 意識と身体はどのようにつながっているのか
などを解説したものであること、また書こうと思った経緯などが書かれています。
現実を作り出しているもの
私たちがどのように現実を作り出しているかというお話です。
「私たちは大きな球体の中にいる」「スポットを当てる」という表現がでてきますが、プラネタリウムのように、真っ暗なドーム型の壁や天井に、中央の装置が星を映し出す様子を思い浮かべるとイメージしやすいかと思います。このとき、私という観察点は、座席ではなく、中央の装置の中にあるという感じでしょうか。
大きな球体があります。あなたはその中にいます。球体の中は真っ暗で何も見えません。その中であなたは何かを考えます。するとあなたの精神が考えた事にスポットライトがあたり、あなたはそれを見て、それを経験します。あなたが何かを考えるたびにその考えた事にスポットライトが当てられて、その出来事をあなたは見、経験します。
周りが真っ暗なので、スポットライトが当たっているところしか見る事が出来ないけれど、本当はその球の中には、私たちが考え得る出来事、人、物質など、「全て」が入っている。意識を向ける事で、その中のどんな事でも体験し、見、得る事が出来きる、とあります。
例えば
あなたが正義感に溢れ、自分が「悪」と思っている事を否定し、批判する時、あなたは不正をする人々をスポットライトの中に創りだし、あなたが不正や悪と思っている事を見ます。愛に溢れていると、愛である人々や出来事がスポットライトに現れ、経験します。
私たちはそれぞれの経験したい出来事によってぴったりなエネルギーの場(波動)引き寄せ、スポットライトを当てます。
さらに
批判をしたり、あるものに怒りなどを向けると、そこにたくさんのエネルギーを注ぎ込みますので、より強力なライトが当たり、より強力にその批判の対象をあなたの見るものの中に存在させます。
暗闇の中では私たちは盲目です。いろんな不安な事を想像し、考え、恐れ、その為、自己防衛のために、いろんなものを傷つけたり奪い合ったりします。
しかし、実は
ただ経験しているだけで、変えないといけないものなど本当は何も無かったのです。心配や後悔することや恥じるようなことも、自分が劣っているというのも、優劣や分離、不足などの幻想を創りだしてそれを経験するためのあなたの創造のひとつなのです。誰も傷ついていないし、誰も傷つけてない。あなたは何の罪も背負っていないし、不足もしていない。
何故なら私たちは本来「愛ある完璧な存在」だから。
私たちはいつも意識を自分の外に向けているので気がつきませんが、意識を自分に向けてスポットライトを当てて見ると、そこにはなんでも湧き出る『愛の泉』がある事に気がつきます。
自分は最初から欲しいもの全てを持っていたのです。幸せも愛も平和も豊かさも。。。。。自分が出会う人々、経験する出来事、全て全て自分が自分自身を知るために自分とは別のものを創りだして見ていただけだったのです。
自分に関わる人々も、自分にやってくるものや経験も、全てが自分の精神で創りだしているものにすぎなかった
のです。
プラネタリウムと異なるのは、見ているのは星ではなく現象であり、見るだけでなく体験もしているということ。また、壁や天井にうつしだされるというより、その空間の中にある様々な奥行きにスポットを当てる感じかもしれません。
初めて読んだときは、ピンとこず、きつねにつままれたような感覚でした。
ただ、批判したり怒りを向けると、より強力にその対象を浮かび上がらせるのだということが、とても印象に残っていました。
現実を作り出しているものを、上記では球体やスポットを例に表現されていましたが、こちらの記事では、もう少し具体的に「潜在意識」が作り出している、と説明されています。
脳波の状態を利用し、意図的に潜在意識に働きかける方法も書かれています。
与えると増大されて受け取るエネルギー
球の中には、「与えると増大されて受け取る」という働きがあり、互いに影響し合っているというお話。
球の中のエネルギーは循環し、互いに影響し合うという働きがあり、喜びを与えると喜びを受け取り、悲しみを与えると悲しみを受け取ります。
ネガティブな感情を誰かに向けている時、それはとげのような物になってその対象物を攻撃します。同時にそのとげは、あなたの元に戻って来て、あなた自身も深く傷つけてしまいます。嫉妬や怒りの感情は目では見えませんが、その力は強力です。
トゲの描写は他の記事にもありました。
そのトゲはゆるやかにその人から飛んでいくのですが、同じくどこからともなく同じ色のトゲがその人に返って来て、刺さったりするのも視えます。それは身体の不調や痛みとなってその人を苦しめます。
喜びのエネルギーも悲しみのエネルギーも、返って来るときには増大されたエネルギーで受け取ります。何故なら与えたエネルギーにプラスされて、それによって生まれた受取手の喜び(悲しみ)のエネルギーが発生するから。
あなたが球の中の何かを、どんな形であれ傷つける事は、結局は自分自身を傷つけている事になります。こんな風に、個々として現れていながら実はひとつである私たちは、常に影響し合っています。
お金というエネルギー
お金もエネルギーである、というお話で、
私たちは、お金を持つことを「欲深い」ことと考えたり、不足が生まれるので良い人でいるためには清く貧しくあるべきだ、という観念を持っていたりします。
また
多くの人間は、「お金があることで幸せになれる。」と、お金に命の次に大きな価値を置いています。なのでお金が絡むと、憤りや落胆を深く味わい、お金を持っている人を批判したり、お金は『強慾』の代名詞になってしまいました。
しかし、
球の中ではお互いに影響していると言いましたが、エネルギーも平等に流れていきます。あなたがあたえたエネルギーと同等のエネルギーをあなたは受け取ります。あるものを、たとえほぼ無償で受け取ったとしても、あなたはそれと同等のエネルギーを結局どこかで与えないといけなくなります。お金は他のものと同様、ただのエネルギーであります。
このことをより深く理解するためには
- (プラスのエネルギーもマイナスのエネルギーも)与えた分は必ず受け取る
- 私たちはすでに豊かさを持っている
- 必要なときに必要なものはやってくる
という、「この世界の仕組みに対する信頼」が必要になってくるでしょう。
でも、なかなかこれを受け入れるのは難しいかもしれません。
こちらの記事の「☆お金の秘密」に、お金というエネルギーの計算公式が掲載されています。
それがこちらの式。
元の金額 - 使った金額 + E =この動作で生まれた自分の保有物質エネルギー
『E = 行動そのもののエネルギー X 感情のエネルギー』 となります。
(行動そのもののエネルギーはマイナスになる事はありませんが、後ほど説明する通り、感情のエネルギーはマイナスになる事もあります。)
お金とは、単なる足し引きの計算だけではなく、使った人や関わる人のエネルギーの影響が加わるというもの。
どのようなことであれ、あなたがしたことはエネルギーであるので、その自分の行動の責任は、人に知られようが、知られまいが、エネルギーの動きとして自分に反映されます。その反映を結果として、あなたはあなたの人生の中で見ています。あなたが何を見たとしても、その結果は罰でもご褒美でもなく、ただこの世界のエネルギーの動きの反映であるだけです。なのでこの働きを知っておくことは、私たちの人生の中でとても役に立つ事でしょう。
自分が循環させているものは、楽しみや喜びなのか、それとも批判や恐れなのか。
スポットを当てているのは何なのか…
これまで漠然と感じていた、目に見えない世界の仕組みが、急激に輪郭を帯びてくるような感覚でした。
(続きの記事はこちら)