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40代レス妻の目覚めの記録 〜 抑圧からの解放、そして深遠なる性の探求へ

自分という存在、自分と他者「光のメッセンジャー」その2

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に引き続き、「光のメッセンジャー」というブログからご紹介していきます。

 

 

自分という存在

パワーストーンからエネルギーをもらっているつもりが、実は自分の力を明け渡していたという体験談をもとに、自分の力を使うことについて書かれています。

 

私たちは、特別な能力がある人たちなどに出会った時、その対象を尊敬し、神様のように感じます。また、何か困難にぶつかったり、人生に迷った時、占いや宗教に頼ることがありあます。

 

しかし本来

私たちは、全てを司る偉大なパワーを持っています。

 

その内なるその力を使わずに

自分の外のものに依存してくると、自分で決断しても、それで大丈夫か見てもらわないと不安で仕方なくなってきます。そしてあなたは、自分の力、自分を信じる力をどんどん失っていきます。

 

自分以外に自分の力を預けてしまうことになるからです。

 

誰かが持っているあなたがうらやましく思うすばらしいパワーは、どんなものでもすべてあなたの中にもあります。それを信じることであなたのパワーも発揮出来るようになってきます。

 

誰かに預けていた信じる力を、自分自身に向けること。それが自分の力を取り戻すことになる。

 

 

それでももし誰かに頼りたくなったときは、

自分たちの教えていることが一番優れている、または真実だと、気付かないうちに私たちに優劣や分離が存在することを教える団体、組織

などではなく

 

球の中で「個」として体験しているすべてのものは、たとえどのように見えても、全く同等で偉大だ

と教えてくれる人々と共にいてください。

 

今自分が見えているもの、例えば信じられない行動をする人、間違っている行いをする人々等、自分が信じている以外のいかなる教えや宗教や団体にも敬意を払い、その個々がしている行動にも、あなたには理解出来ない深いものがあるのだという事を理解して下さい。全ての考え方、教えは、たくさんあるそれぞれの尊い道のひとつにすぎません。結果的にはどのような道を通っても、全ては同じところにたどり着き、私たちはひとつに帰っていくのですから。。。

 

 

私たちは過去に起こった出来事で自分自身を判断してしまいます。

例えば優しくて親切、落ち着いている、よく失敗する、正義感が強い、積極的、消極的…知らず知らずのうちに自分のイメージを築き上げ、自動的にそれに基づいた事柄にスポットライトを当ててしまっています。

 

過去に罪深い事をする経験をしていると、自分に罰を与えるような出来事にスポットライトを当てます。正義感が強いと思っていると、自分が「悪」と思うことを引き寄せ自分の正義感を感じる経験をします。人助けが好きな人は助けが必要な人を引き寄せます。

 

しかし

もう一度思い出して下さい。 私たちは元々、愛ある完璧な存在。でもずっとその中にいると、自分がどんな存在か、愛とはどんなのかでさえわかりません。そこで、この二元性の世界で、それぞれの反対のものを創りだし、経験する事になりました。不幸を経験して、初めて幸せがどんなのかがわかりますね。下を経験して、上がどんなものかわかりますね。 

 

だから

どんな経験をしても全てはそれでいいのです。私たちはただ、スポットライトを当てた事を経験し、観察していればいいのです。

 

本当は、あなたがする何かの行為によって、あなたを痛めつけたり苦しめたりするものは何もありません。あなたを傷つけるものは、あなたの「こうすると罰せられる」、「こうする事は正しくない」というような、あなた自身の思考以外には何もありません。 

 

本当の自分はいつのときも、今この瞬間の自分だけです。過去に引きずられない真っ白な自分。。。。。 真っ白なまっさらな自分から、毎瞬毎瞬いろんな自分を自由に選択して、スポットライトを照らし、いろんな出来事を自由に創造して下さい。

 

 

* * *

 

 

この辺りを読んで思い出したのは、母のことでした。


母は占いが大好きな人で、一つでも当たっているとその占い(師)に全信頼を置いていました。そのうちあれもこれも当たっている言い出して、占いの言いなりになっているように見える姿に、苛立ちを覚えたりしていました。

 

かく言う私も、独身の頃は母の、結婚してからは夫の言うことが正しい、従わなければいけないと無意識のうちに思い込んでいて、自分の気持ちよりも親や夫の価値観に従って生きてきました。

 

その結果、母はいつも迷いや悩みを抱えていたし、私は頑張るほどに消耗していく毎日に、何かおかしいと感じながらも抜け出せずにいました。

 

自分の力を、自分以外のものに預けていたからなんですね。

(その無意識の思考に気づいたプロセスは>>こちらの記事に書いています)

 

 

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自分と他者、自分と地球

こちらの記事は、正しさの定義について書かれています。

 

私たちは不完全な存在だから完璧じゃなくて当たり前なのか。それとも、そもそも完璧な存在なのか。

私たちは、どんなことでも、どちらが正しいか間違ってるか。どちらが白であり黒であるか。と決めたがります。

 

しかし

それぞれの人々の中での定義の違いというだけで、どんなことも、どちらでもそれでいいのです。

 

私たちは、会社や学校、いろんな場で議論をします。どちらが正しいか間違っているか。何が真実か。。。。しかし、前提が違えばその答えも全然違ってきます。

 

それぞれ違った国、人種、家族などに生まれ育った私たち,人生のいろんな段階にいる私たちは、それぞれ違う価値観、定義、前提を持っていますので、それによって真実や正しさは違ってきます。それなのに私たちは、白黒つけたがり、どちらが正しいかで争います。

 

それぞれの人々の歴史や生い立ち、個々の違いによるそれぞれの真実はどれも尊いものであるので、たとえそれが自分と違った真実でも、議論をして変えようとしなくても大丈夫です。違いがあるだけ私たちの経験は広がるのですから。。。。そのために私たちが創った個性であるのですから。。。それぞれの真実を敬い大切にしてあげて下さい。そうすることで、自分の真実も大切にされます。

 

 

地球の環境破壊についてのお話です。

よく、人間たちの身勝手な行為で地球が傷ついている、という言葉を聞くけれど、地球は悲しみ、怒っているのでしょうか。

 

私たちはみんな、自由意志を与えられています。私たちが選ぶことがらによっては罰せられるかもしれないというような事などありません。

 

それでも、実際に地球は傷ついているように見えるかもしれません。

私たちが環境に無頓着であれば、それは罰せられるのではなく、その行為がただ自分達に返って来ているのです。覚えていますか?球の中であなたがした事は、それはそっくりあなた自身にしていることなのです。

 

私たちにはもともと生存本能がありますので、自分を最大限に守ろうとします。

 

全てが自分とひとつであると気付くと、全てのものを守ろうとします。個人の生存本能を、地球や自分以外の全てのものを守るという事にシフトできますので、批判を含め、他を傷つけるような事は全くしなくなるでしょう。結局それが自分を守るという一番の方法だということです。

 

 

 

 

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魂の成長 

何かの病気になったり、事故に遭ったり、一見不運に見える出来事に私たちが出会ったとき、どのように向き合えばいいのかということが書かれています。

 

 

このような出来事は今回自分が生まれてきた課題に沿ったもので、どれも偶然ではありません。神様の罰でもありません。

 

人間はどうしても、困難の中で学び変化出来るという設定があるので何か気付きたいことがあるときはたくさんの困難を引き寄せます。その困難からはたくさんの恨み、怒り、絶望、苦しみ等が生まれます。

 

しかし、

全ての起こる出来事は、自分を次の段階へと導いてくれるもので、それはたくさんの人達の同意と協力の下に起こっているのです 

 

辛いことがあったときの人間としての進化は、とても大きいものになるか、あるいは憎しみや怒り、憎悪などで自分を破滅させることもあります。どちらを経験するかはあなたの行動、考えによりあなたが選ぶことが出来ます。

 

苦しくても、その経験を与えてくれている全ての人やもの(病気にさえも)に感謝を向けて、その人達の協力による命がけの経験を、どうぞ価値のあるものにして下さい。辛い状態の中でもぜひ光と愛を周りに与え続けて下さい。

 

 

* * *

 

 

悲しみや苦しみという経験を、進化の力に変えることも、破滅の道に向かわせることも、どのようなものにするか、自分で決めることができるのですね。

 

 

 

正しさという幻想

どれも優しい語り口なのにメッセージは強力で、世の中を見つめる視点が大きくシフトしていくのを感じました。

 

なぜ正義をふりかざすことが時に人を傷つけるのか

なぜ正論では物事の根本解決はできないのか

正しさと傲慢の境界線はどこにあるのか…

  

そんな数々の疑問や、正しくあろうとすることへの違和感の理由が

ストンと腑に落ちるようでした。

 

 

同時に、

もう、誰かや何かを非難したり、不可解な行動の理由を考えたり、過去の自分を責めなくていいんだ…と癒しも起こりました。

 

すると、批判やジャッジ、怒り、不満、罪悪感といったネガティブな感情が、今まで自分自身の多くを占めていたことに気がついたのです。

 

これらのものに、私は自分の内側を明け渡していたのか…

 

 

これまでの思い込みが氷解するにつれて、自分の中にスペースが空くような感覚が起こっていきました。

 

 

私たちは知らないうちに、自分の力を自分以外の何かに預け、ぽっかり空いた自分の内側を、様々な負の感情で埋め尽くしていたのかもしれません。

 

 

* * *

 

 

もう一つ、実は、「たくさんの人達の同意と協力のもとに起こっている」という表現を、紹介するかどうか正直迷いました。

 

世の中の痛ましい出来事を見て、「魂のレベルで納得してやってるんでしょ」と当事者を追い詰めたり、誰かを傷つけてしまった過去を「お互いの同意のもとなんだから」と正当化の理由にしたり、悪用されてしまう懸念を抱いたからです。

 

結局、人と追い詰めたり正当化するその根底にあるのも、正しくあらねばならない、という幻想なのでしょう。

 

 

そのような考えもまた学びなのかもしれません。 

 

でも、ここに書かれている意味は、
正しさを証明する道具にするのではなく、
自分や他者に起こった出来事を、信頼する力として使うことなのだと思います。

 

(続きの記事はこちら)