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〜レス妻の目覚めの記録〜

男女の分断の理由と分断を終わらせるために「光のメッセンジャー」その4

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こちらの記事

がまだの方は、先にご覧ください。

 

 

 

この世は不公平な世界?

これまでに

この世界はただの経験。全てはそれで良い。どんな事も、それに関わる全ての魂の同意の元に起こっている。 

というメッセージを紹介してきましたが、釈然としない方もいらっしゃるかと思います。

 


こちらの記事は、それに対する答えのような内容になっています。長くなりますが、ご紹介していきます。

そうは言っても、理不尽に殺された人々や、自然災害などで亡くなった人達の家族はそんなことなかなか受け入れられないと思います。無念の内に亡くなった人達の気持ちは? 残された人達のどうしようもない気持ちは? 悪は罰せられるべきではないのか? 

 

人を不幸にする許しがたい出来事は私たちをどうしようもない気持ちにさせます。全ての人を正して幸せな世界を実現したい。いったいなにが間違っていて何が正しいのでしょうか? 

 

悪者を罰する事が正義で、正義のもとでは人を殺す事も正当化されます。不幸な事故や思わぬ行動で相手を死なせてしまった人を批判し、責め、とことんまで追いつめます。

 

極悪人と呼ばれる人々も、全てである私たちの一部であり、全てのものがそれぞれの望む経験が出来るように、嫌な役割を背負ってくれる。その最も嫌な役割を背負ってくれる魂は、あなたと一番深い関係にある人達であります。私たちの本質は「愛」であるので、その役割はとっても辛いものであります。このお互いに辛い経験を体験するときは、憎しみ怒り狂っているその相手を批判して責めている自分自身の奥底は張り裂けます。

 

実は、この世界では、例えば殺人を犯した人も、その被害者も、結局は同じ体験を等しくするようになっています。というのは、私たちはこの肉体を離れた後、その人生でしてきた全ての体験を再び経験します。その回帰体験では、自分の気持ちだけではなく、それに関わった全ての人々の感情を味わいます。

 

意地悪をしたなら、その時の相手と同じ気持ちを味わい、人殺しをしたなら、殺された人達の恐怖、痛みもその時と同じように味わいます。自分が傷つけた人々や、その家族などが味わったものと同じ苦しみを、それを与えた人達も同じように経験するようになっているのです。

 

その人が抱えていたいろいろな物語。私たちがうわべではとうてい理解出来なかった深い深い事情も、そのときに初めて、その人達の立場で理解します。間違いを犯した人を罰し、責めること。それは、大きな痛みをさらに大きくしていただけだったという事に初めて気付きます。私が、私の痛みを大きくしていたのだと、その時初めて気付きます。

 

全ての経験は、私たち全てが共有するものなのです。だから、こんな事をされた私は「損」だとか、こんなことは「不公平」だとかは、この世界では本当はあり得ないのです。全てのことは、ひとつである私たち全員で同意し、起こしている世界なのです。

 

この地球に今生きている内に、自分というのはどんな存在なのかを知っていくと、今まで苦しんできたことさえもだんだん楽しめるようになってきます。今までは不満だったことも、悲しかったことも、許せなかったことも、感謝さえ伴い受け入れられるようになってくる

 

全てはそれで良かったのだと、不公平なことなど何もなかった

のです。

 

* * *

 

 

メッセージの一つ一つが深いところに響きます。

 

私たちが正しさや正義にこだわる時、その根底には不公平感があるのでしょう。

でも、その不公平感もまた幻想だったといえばいいでしょうか。

 

死んだ後の回帰体験を確かめるすべはないけれど、これまで理解できない、許せないと思っていた人や出来事に向けていた批判感情を、私が体験できない悲しみや苦しみを引き受けてくれているのかもしれない…そんな視点に切り替えることで、自分の中に渦巻いていた不公平感や分離感のようなものが、スルスルとほどけていくのを感じました。

 

 

ひとつの光へ

 

 「その16」は、悟った時の本当の姿について。

悟ると世間から離れて静かに暮らしたり、聖人の様になるというイメージがあるかもしれないけれど、今まで嫌だと思っていたことでも、どんなことでも楽しめるようになる、と書かれています。

 

この世界を否定して生きていくのではなく、肉体があるからこそ得られる、様々な感情・感覚・経験を、目覚めた意識でしっかり楽しむことが真の悟りの姿、と言えるでしょうか。

 

 

「その18」は、最後のまとめになります。

 

この地球で経験し、感じ、自分という存在を理解し、至福の喜びを味わって下さい。個々に分離して悲しみや寂しさ、苦しさも味わいましたが、そのいろんな違った個性を持っている個人個人の存在そのものがとっても特別なのです。

 

分離しているから、『お互いに影響し合い、気遣い助け合い、分け合う』という経験が出来るのです。分離しているから『誰かの役に立つ』という経験もできるのです。分離しているから『愛』の素晴らしさを最大限に感じることが出来るのです。自分のことが好きとか嫌いとかに関わらず、 ”あなたという個性を持ったあなた” その存在そのものがとっても特別なことなのです

 

もともと一つであった私たちが分離を経験することの意味と、その私たちが本当の自分を思い出すとどうなるかが書かれ、記事が締めくくられています。

 

 

 

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内側に起き始めた変容

 

自分の中で、これまでの傷が癒され、意識がどんどん変容していくのを感じました。

 

もう一度思い出して下さい。 私たちは元々、愛ある完璧な存在。でもずっとその中にいると、自分がどんな存在か、愛とはどんなのかでさえわかりません。そこで、この二元性の世界で、それぞれの反対のものを創りだし、経験する事になりました。不幸を経験して、初めて幸せがどんなのかがわかりますね。下を経験して、上がどんなものかわかりますね。 

 

私たちはもともとひとつであり、愛ある完璧な存在。

 

そんな自分を知るために、二元の世界を作り出し、自分とは正反対なものを生み出して、自分という存在を経験していたこと。

 

これまでのあらゆる悲しみも苦しみも「一つの経験として」体験していたにすぎなかったこと。

 

本当の自分を知るために、ネガティブな感情を抱き、そこからたくさんの経験と学びを得て、進化していくように私たちの身体が設計されていること。

 

全ての出来事は、自分を成長へと導いてくれるもので、たくさんの人達の同意と協力の下に起こっていること。

 

肉体を離れた後、全ての経験は私たち全てで共有すること。

 

いま起きていることは、それぞれが学びのプロセスの中にあり、一つ一つが尊い体験をしていること。

 

 

 

何度も記事を読み返し、たくさんのメッセージが頭の中を駆けめぐり、ゆっくりと、でも確実に浸透していきました。

 

もう、「正しく」あろうとすること、他者や出来事をジャッジすることに捉われなくていい…

 

 

男女の分断の理由

 

なぜ何千年もの間、男女の分断が続いてきたのか、なぜこうも分かり合えないのかの謎が解けたような気がしました。

 

私は、アダム徳永さんの著書を読んで、セックスは私たちがもともと愛の存在であることを思い出し、宇宙とつながるための、誰もが持っている体に組み込まれた仕組みだと知りました。

 

二元性の世界を経験するために、私たちはこの素晴らしい仕組みを忘れ去り、自分たちを分断させたのだと思います。そして、分断するだけでなく、もともと一つだったことを思い出さないような仕掛けも組み込まれました。それがネガティブな感情です。

  

私はかつて、ネガティブな感情と向き合い続けたことで、その向こうには本当の望みが寄り添っていたことを知りました(詳細は「第二章 罪悪感と本当の望み」)。

 

本来ネガティブな感情は、本当の望みを知り、私たちの根源を思い出す手がかりとなるものですが、不快な感情を一緒に抱かせることで、私たちは心の声に耳を傾けることができなくなっているのだと思います。

 

 

分断を終わらせるために

 

かつて傷ついてきたたくさんの女性たちも、女性からのパワーを受け取れないまま社会で戦ってきたたくさんの男性達も、それぞれの役割を引き受けてきて、分離というものを経験してきたのだと思います。

 

そして

かつて自分傷つけた、許せないあの人も
かつて自分傷つけた、忘れてしまいたいあの人も。

 

思い出すたび心が張り裂けそうな過去の出来事は、
深い関係にある魂だからこそ引き受けた、尊い経験だったのです。

 

 

苦しくても、その経験を与えてくれている全ての人やもの(病気にさえも)に感謝を向けて、その人達の協力による命がけの経験を、どうぞ価値のあるものにして下さい。

 

分断を終わらせるために私たちがすることは、過去の過ちを責めることではありません。

 

悲しみや怒り、憎しみ、悔しさ、絶望、抑圧、自己否定…内側から起きてくるあらゆる負の感情を、ただ感じること。

 

それは自分が体験したかったはずのものだから。

無視し続けると、気づくまで繰り返しやってくるのでしょう。

 

その感情を抑え込むのではなく、

相手や何かにぶつけるのでもなく、

呑み込まれるでもなく。

 

ただ静かに観察し、ひたすら味わうこと。

 

その向こうには、魂の声が隠れていることに気がつくでしょう。

その声を、そっとすくいあげるのです。

 

 

そして、先祖やこれまで関わった人々、過去の自分が、数々の失敗を引き受けた勇気を讃え、その過ちから学んだことを分かち合い、人々に役立てることだとなのだと思います。

 

 

そうすることで、自分と他者を赦し、負の感情を「感謝」や「喜び」とともに手放すことができるのだと思います。

  

 

失敗する勇気が私たちの魂を成長させてきました。

その勇気を受け入れた時、私たちは調和を取り戻し、新たな可能性が開かれるのだと思います。

  

 

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ずっとずっと知りたかった「真理」にたどり着いたような気持ちでした。

 

 

あぁ、ついに…

 

 

やっと、

 

 

やっと…

 

 

 でも・・・

 

 

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