自分自身に起こった変化
このような日常の小さな気づきの積み重ねによって、少しずつ、でも確実に、自分が変わっていく手応えを感じました。
心の声に気づき、ジャッジせずに受け止め、それを満たしていく。
人にとってはなんでもない、小さなことかもしれない。
でも、それを繰り返すことで、自分自身との信頼関係が結ばれていったように思います。
すると、だんだん自分の欲求を表現できるようになっていきます。
少しずつ顔を出す欲求
ある時、夕食を作ろうとしたら、子どもたちがケンカを始めたことがありました。イライラが募って、そのまま続けることができなくなり、私は夕食作りを放棄しました。
すると、子どもたちは冷凍庫のご飯と冷蔵庫にあるもので、各々が夕食を済ませたんです。
以前なら身勝手な母親だと自分を責めていたけれど、この光景を見た時は、逃げ道があることの心強さを感じました。もう一人で全部背負わなくていいんだと。
自分のわがままや至らない部分を許してもらえる(または自分自身で許す)ことで、とても大きな癒しが起こったのと同時に、感謝の気持ちも自然と生まれていました。
思えば私は子どもの頃、わがままを言うことはありませんでした。わがままをいうと親に拒絶されるんじゃないかと、怖かったからです。でも本当は思いっきりわがまま言ってみたかったし、受け止めて欲しかった。
逃げ道がある、わがままが言えるというのは、とても大事なことだったんだと気づきました。
それがないと、知らず知らずのうちに自分も相手も追いつめてしまう。
我慢し続けるのは、結局自分も周りの人も幸せにしていないんですよね。
夫婦関係に向き合う
やがて、私はもっと大きな我慢をしていたことに気がつくようになります。
それは主人に対する我慢です。
特に子どもが生まれてから、助けて欲しくても相手に遠慮して気持ちを飲み込んでしまったり、実際に助けを求めて断られた記憶が傷となって溜め込んでしまっていたのです。
これまであまりケンカをすることのない夫婦でした。
文句を言ってもお互い嫌な気分になるだけなので、口を閉ざし、冷静さを保つためにその場を離れていました。でも、本当は感情を受け止め合うことがとても怖かったのです。それは主人も同じでした。
でもこのまま我慢し続けていたら、夫婦関係が壊れてしまう…
他人の気持ちの察することがとても苦手な主人に、ちゃんと言葉で伝えなければ…そう思って主人と向き合うようになります。
私自身、自分の気持ちを人に伝えるのが苦手でしたが、これまでの苦しかった思いを頑張って伝えていきました。
最初はうまく表現できなかったり、泣いてしまったりと、また、主人に仕事で疲れてるのにと不機嫌な顔をされることもありました。「自分だけがしんどいと思うなよ」と言われて心が折れたこともあります。
でも、私はもう自分の声を無視したくないと誓ったので、何度も話し合いをしました。
ある時主人が「もう、どうしたらいいねん…」困まり果てて言った時、
「『そうやったんやなぁっ』て、言ってほしい…」と、絞り出すように声に出していました。
解決策がほしいわけじゃなかったんです。寄り添って欲しかったんだと、私自身その言葉で気がつき、主人も、そうだったのかと理解してくれました。
心にあるものを伝え、また、それを受け止めてもらえた瞬間でした。
気持ちを受け止めるのが怖かったのは、責任を背負いこむことのように感じていたからだと思います。
でも、背負いこむ必要はなかったのです。ただ感情の存在を認めるだけでよかったんです。
ネガティブな感情の向こうにあったもの
ネガティブな感情と向き合うことは、そこに隠された本当の願いと向き合うことでした。
大好きと伝えるかわりに母の期待に応えることが、愛情を表現することだとすり替えるによって
- 環境や物質、世間の人が定義する幸せの条件を満たさなくては、という思い込み
- 自分自身を喜ばせることへの制限
が無意識に刷り込まれ、「本当の自分の気持ち」を見えなくさせていきました。
「自分自身を喜ばせること」は生きる力そのもの。そのことを制限してしまうと、生きる力を奪われることになります。
その弊害が
- 性への罪悪感
- 甘えること・甘えられることへの苦手意識
- 幸せになれていないという行き詰まり
などとして現れていたのだと思います。
無意識の領域に追いやったものに、長い間、思考パターンを支配され続けていた、とも言えるかもしれません。
今思うと、私が自分のことを幸せにしたいと思った時、意識の大きな切り替わりが起きていたのだと思います。
目の前の出来事に、ただ「反応」していたこれまでの状態から、自分で人生を「組み立てていく」意識に。
感情の波に飲まれるのではなく、そこから自分が何を望んでいるのか拾い上げ、それを軸にする生き方、「大切にしたいものを大切にする」生き方に。
できない理由を一生懸命並べる状態から、何が問題でどうクリアすれば実現できるのか具体的なレベルに落とし込む思考パターンに。
そうなることで、自分自身との信頼関係が結ばれていったし、相手の意見も尊重できるようになっていきました。
必要以上に何かを背負いこむことがなくなり、「全然幸せになれていない」と行き詰まった状態から抜け出したような感覚でした。
ようやく見えてきた心の声
自分の気持ちを受け止めていくプロセスを繰り返すうちに、やっと自分の本当の声が現れてきました。それはいくつかあるのですが、一番大きなものは
「ひとつになりたい」
という欲求でした。身も心も一つになりたい。
コミュニケーションで心が通じ合ったり、触れ合ってつながりを感じたり。
それは単なる言葉のやりとりや、肉体のふれあいを超えて、魂が響き合うような。
エネルギーが循環し合って、喜びが生まれるような。
その最たるものがセックスなんだと思います。
それは、人間としての根源的な欲求であるようにも感じます。
そして
- ”する人・される人”という関係性ではなく、二人で一緒に楽しみ、喜びを感じあえるようなセックスがしたい
- そのための具体的な方法を知りたい
と思うようになります。
そこにはもう、かつてのような罪悪感はありませんでした。
その後、そういう意識状態になったからかどうかわかりませんが、ずっと知りたかったこと、だけでなく、それ以上の情報と出会えるようになっていきます。
・・・
さて、自分自身と向き合った記事が長くなってしまいましたが、また次回から、私がみつけた性情報の紹介をしていきたいと思います♪
(追記)
その後、私が出会った性情報はこちら
私なりに調べてきたことのまとめはこちら