セクシャルブックマーク

〜レス妻の目覚めの記録〜

これまで積極的になれなかった理由 その1

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これまで積極的になれなかった理由 その1

 

自分自身と向き合う

これまで知ろうとしてこなかったセックスを知っていくにつれて、そして、楽しんでいる男女の存在を知るほどに、取り残されたような気分になり、「なぜこれまで積極的になれなかったのか」考えるようになります。

 

また、セックスのことをもっと知りたいと思う気持ちが大きくなるほど、それを邪魔する感情もまた大きくなっていき、先へ進むには、これ以上この感情を無視できないと思うようになります。

 

自分自身と向き合うことを避けて通ることはできなくなったのです。

 

これまで見ようとしなかった、忘れたい過去やネガティブな感情と少しずつ向き合っていきました。

 

私が幸せなセックスについて研究してきたこの数年間の中で、セックスそのものについて考え、調べてきた時間よりも、自分自身の過去と向き合ってきた時間の方が、実は長かったのです。

 

 

これから何回かに分けて、私が自分自身と向き合ってきたことを書いていきます。

 

人によっては、読みながらご自身の記憶と重なったり、また、批判の気持ちなど、さまざまな感情が起こってくることがあるかもしれません。

 

どんな気持ちであれ、揺れ動く感情の向こうには、自身にとって大切なメッセージが隠れているのだと思います。

 

そのメッセージを感情の海から拾い上げるヒントを見つけながら、読んでいただければと思います。

 

 

くすぶっていた感情

セックスのことをもっと知りたいと思う気持ちを邪魔をしていたのは

  • セックスに対する罪悪感
  • 甘えること・甘えられることへの強い苦手意識

 でした。

 

この感情がパートナーシップにおいていつもくすぶっていたことは、自分でも薄々気づいていました。

 

気づいていながら、これまでそのことに目を向けてきませんでした。気づかないふりをしていたのです。でも、無意識の領域に追いやっても、それは決して消えることはありませんでした。

 

これまでセックスのことを遠ざけていたのは、知らず知らずのうちにこの問題から避けていたのかもしれません。

 

  

私はまず、セックスへの罪悪感はどこからきているのか、記憶を遡っていきました。

 

思い出したのは、母との関係でした。 

 

  

初めて彼氏ができた時

私に初めて彼氏ができたのは、17歳の春のこと。相手は2歳年上の人でした。

彼氏ができたことで、母との関係が一気にギクシャクします。

母自身は恋愛経験がなくお見合い結婚で、自分の娘にも結婚まで女の操を守って欲しいと思っている人でした。

 

その時母に言われた言葉の数々は、いまでもはっきりと覚えています。

 

「彼氏にうつつ抜かして、学校の成績が下がったら許さへんからな」

 

なんてのは序の口で

 


「もしそういう(男女の)関係になったら、顔見たら一発でわかるしな!」

「もし妊娠したら、堕ろすことはならんで!」

「傷つくのは女の方なんや!」

 

・・・

挙句には

「あんたは妊娠しやすい体やしな!」

 

とまで言われました。

 

妊娠どころか、処女だったのに。

 

当時高校生の私には、どれも心に重くのしかかりました。

何を根拠に…なんでこんなに怒られなきゃいけないんだ…

 


好きな人とおしゃべりしたり、手をつないだり、キスをしたり…もっと仲良くなりたい、触れ合いたい、と思うのは、人としての自然な欲求のはずなのに。

 

セックスが悪いことならば、そういう感情もいけないことなのか。

セックスが悪いことならば、両親の行為によって生まれた私の存在も悪なのか。私だけでなく、世の中全ての人々の存在は…

 

 

葛藤と悲しみが、頭の中でぐるぐると回っていました。

 

また、絶対的な存在のように感じていた母との仲が険悪になったことで、家の中から安らぎがなくなり、自分の居場所がないような、とても心細い気持ちにもなりました。

 

 

母の気持ち

「堕ろしてはいけない」というのは、母自身がかつて中絶を経験し、自分が無知だったために、お腹の子の命を奪ってしまったことを後悔する気持ちから出てきた言葉です。私が小さい頃から、その話はよく聞かされていました。

 

「妊娠しやすい体だ」というのは、妊娠しやすかった母の遺伝を引き継いでるはずだ、だから気をつけないといけない、という意図だったのでしょう。

 

また、望まない妊娠をしたら世間に顔向けできないという恐れや、恋愛経験がないことへのコンプレックスもあったと思います。

 

「日本人女性は結婚まで操を守るものだ」というようなことも言われました。
むしろ江戸時代は、男も女も性におおらかだったことを後々知って、衝撃を受けましたが(>>詳細はこちら)。

 

なんとなくそんな母の気持ちは感じていたけれど、脅すのではなく、ちゃんと教えてほしかった。

 

反発しながらも、セックスは悪いことなんだと、深く深く刻まれました。

 

 

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初体験

結局その人とは、そういう関係になることはなく別れ、その後、付き合った人と初体験を経験しました。20歳の時でした。

 

母の言葉は刻まれたままでしたが、20歳になったのだから、自分で決めよう、そう判断しました。

 

好きな人に求められるのは嬉しかったし、肌の触れ合いにうっとりしました。でも、挿入は圧迫感があって苦しく、快感を感じたことはほとんどありませんでした。

 

きちんと避妊をしてくれる人でしたが、少しでも生理が遅れると、もしかして…と不安になったり、母の言葉を思い出してりして、いつも不安と罪悪感がどこかにあったように思います。

 

嫌われたくなくて本音が伝えられない心苦しさも、感じていました。

 

 

 

 

「できたらどうしよう」が「できなかったどうしよう」に

大好きな彼でしたが、残念ながらご縁がなく、やがて、主人と出会って結婚します。


結婚すると、言葉にこそしなかったけれど、母は孫の期待をします。

当然といえば当然なんですが、手のひらを返されたように感じました。

 

これまで、セックスしてるんじゃないだろうな、と、まるで監視するような目で私を見ていたのに。


だからすぐには子どもは欲しいとは思えませんでした。

 

それでも数年たった頃、そろそろ欲しいと思うようになりました。30代に突入していました。

 

そして、いざ作ろうとしたら、実は妊娠する仕組みを全然わかってなかったことを知ります。

 

排卵のタイミングに合わせてセックスしたら、妊娠できるものだと思っていましたから。でも妊娠の条件が揃ったとしても、20代と30代では、妊娠できる確率(着床率)が全然違う。卵子の寿命は24時間しかないことも知りませんでした。

 

ちょうどそのころ、婦人科系の病気(卵巣嚢腫)も発覚し、独身の頃は「できたらどうしよう」と思っていたことが、「できなかったどうしよう…」という焦りに変わっていきました。

 

そして不妊治療を始めます。

最初はタイミング法から。

 

産婦人科を受診をして排卵日を予想し、逆算して「○日ぐらいにセックスしてください」と言われます。

 

「可能であれば、このあたりとこのあたりで2回ぐらいしてください」

「セックスしたら次の日診せに来てください」

 

その通りにして診察に行くと、排卵が予定より遅れていて

 

「追加でこの日にもしといてください」

 

・・・

 

もちろん、先生方は妊娠できるように最善の方法を考えてくださっていたのですが、人から指示されるセックスは、

 

「なんて色気がないんだろう」
「まるで”作業”だな」

 

そんな風に感じてしまっていました。


生理が来るたびに落胆し、それでも病院にも通い続けるも授からず、結局人工授精に切り替えて妊娠しました。そして出産へ。

 

子どもが生まれ、仕事復帰、
そして二人目妊娠・出産、再び仕事復帰…

 

望みが叶ったはずなのに…

結婚して、二人の子に恵まれ、仕事もあって、周りからは順調そうに見られたし、自分でも幸せ者だと思っていました。


でも実際は、いつもイライラして、体調も悪く、ただただ、毎日を回していくのに必死でした。早く寝かしつけて、食事バランスにも気をつけて、休みの日は掃除に3食の食事作りに、プラス料理の作り置き、時間を見つけて子どもたちを公園に連れていって、…子どもたちの体調を第一にトラブルなく過ごすことで頭がいっぱいでした。子どもが体調を崩して職場に迷惑をかけてしまわないかと、いつもビクビクしていたのです。

 

望みが叶ったはずなのに、どんどん消耗するばかりで、「こんなに頑張ってるのに全然幸せな気持ちになれてない。」と思うようになります。

 

幸せになりたくて頑張ってきたのに、おかしいな、どこで間違ったんだろう…でもどうしたらいいかもわからず、この先楽しいことなんて一つもないんじゃないかと、息苦しい毎日でした。



そんな時、以前の記事にも書いたように、突然、自分の中から

「女性として満たされてない!」

という思いが突き上げてきます。

sexual-bookmark.hatenablog.com

 

ずっとあった、性への罪悪感

振り返ってみて、私がセックスを楽しめずにきてしまった理由として、一番大きかったのは、やはり母の言葉でした。

 

そしてその時の罪悪感は、独身の時だけでなく、結婚してからもずっとあったと気がつきます。

 

子どもが生まれてからは、母は全力で子育てを手伝ってくれ、本当にたくさん助けられました。許せないと思っていた母を、許せるようになったと思っていました。

 

それでもなお、10代の頃に受けた傷は残っていて、この歳になってもまだ引きずっていたのです。

 

さらに不妊治療によって、夫婦生活に「しんどい」というイメージがついてしまっていたこと、子育てで必死になっているときに、主人に助けてもらえなかった記憶もまた、新たな傷となり、心の距離ができてしまっていました。

 

 

さらに、深い感情の領域へアクセスしていきます。

 

(続きの記事です)