前回の記事の続きです。
sexual-bookmark.hatenablog.com
もう一つの感情
もう一つの感情もみていきます。
私は「甘えること、甘えられること」が極端に苦手でした。
「人に心を開くこと」
「本音を伝えること」
「自分の欲求を素直に表現すること」
と言い換えてもいいかもしれません。
また、相手のそれを受け止めることも苦手でした。
自分を律しようとして、本音を強く押さえ込んでいたのだと思います。
そのくすぶった感情は、パートナーシップ以上に、子育ての場面で強く現れていました。
以前あるブログを読んで、子ども時代に自分に課した制限について考えたことがあります。
記事の中に登場するある言葉が、子育てで行き詰まりを感じる時に、いつも沸き起こる感情そのもので、その言葉を反すうするうちに様々なことが思い出されたのです。
以下にその時の文章を掲載しますが、加工していない感情が出てくることがあります。
人によってはしんどくなったり不快になることもあるかもしれません。出口はちゃんとあるので、途中で読むのをやめるより、最後まで読んでもらった方がスッキリすると思います。
・・・
子ども時代に自分に課した制限について考える
物心ついた頃から、一日中働きづめの親を見て、そして、お金の苦労をしている姿を見て、迷惑をかけないようにという意識が自然と芽生えていた。
どこかへ連れて行って欲しいと言わなかったし、何か買ってもらうときも、必要最低限ものしか要求しなかった。自分の欲求を押さ込むクセがいつの間にか身についていた。
中学生になると、毎朝自分でお弁当を作った。親に迷惑をかけてはダメだ、自分のことは自分でしないと思ったからだ。
ふと、なぜこんなに親に気を使っているんだろうと気付き、子どもなんだから親に甘えてもいいじゃないかと、ある時からお弁当を作るのをやめた。私なりのささやかな甘えだった。
それでも人に甘えることは悪いことという意識が深く根付いたままで、人の好意や親切も素直に受け取れなかった。
手間をかけてもらう事が迷惑をかけてるような気がして、時には親切心を押し付けられてるような気分にもなった。
当然、人に親切にすることも、苦手になっていた。
いつしか私も2人の子の親になった。生まなければ良かったと思ったことは一度もないけれど、イライラさせられることは日常茶飯事である。
せっかく片付けた部屋が一瞬で散らかったり、一生懸命作ったご飯に文句を言われた時、一気に怒りのスイッチが入る。
あちこちに、お菓子のパッケージやアイスクリームのカップ・スプーン、挙句には腐ったバナナの皮が床に落ちている。
トイレのスリッパに、食べ切れなかったチョコレートのアイスクリームが入れられ、ドロドロになっていたこともあった。
そんな時、怒りを通り越して自分の居場所がなくなったような気分になり、家から出て行きたい衝動にかられる。
イライラの感情を処理しきれず、スーパーの袋に食器を入れて、壁にたたきつけたこともあった。
食器は粉々になり袋から飛び散っていた。
とりあえず気持ちを落ち着けようと外に飛び出したら、子どもが泣きながら追いかけてきたこともあった。
くすぶり続けるネガティブな感情
その気持ちのざわつきにあるのが、子どもの頃に自分に課した制限なんだろう。
私は親に迷惑をかけないように気を配ってきたのに、この子達はそれがない、と無意識のうちで思っているらしい。
相手を萎縮させて、傷つけることで、傷ついた自分とのバランスをとろうとしていた。
我慢していた自分と、欲求に自由な子どもたち。
見方を変えれば子どもたちは素直に育っている証拠なんだと思う。
そうだとして、それじゃあ、我慢していた自分はどうやったら報われるのかという感情がくすぶり続けている。
あるコーチングの本で、
「人は存在を褒めて欲しいのではなく、認めて欲しいのです」
というフレーズがあった。
子どもたちをみていると、それは人としての根源的な欲求なんだと感じる。
同じように、ネガティブな感情もまた、存在を認めて欲しいと言っているような気がした。だから、無視するほどに、抑え込むほどに、暴走し、決壊するのかもしれない。
ふいに思い出した、母の言葉
ふいに、母が上の子に、
「ばあちゃん(母)は、かあちゃん(私)に大好きって言われたことないなー」
と言っていたことを思い出す。
有難いことに、子どもたちはいつも私のことを大好きと言ってくれていて、その光景を見て言った母の言葉だった。
あー、言ったことないなーと、「大好き」と言っている姿を想像したら、いきなり涙がぶわっと溢れてきた。
頭より先に心が動いていた。
え……そうか、そうだったんだ…
ほんとは大好きって言いたかったし言って欲しかったんだと、その時初めて自分の気持ちに気がついた。
感情が揺さぶられ、涙が止まらなかった。
あんなに反発していたのに、気がつくと進学も、就職も、結婚も、母を安心させたいといつも思っていた自分に気がついた。
ほんとは大好きだと言いたかった。
でも、自分の本音を抑え続けていた私には、それができなかった。
大好きと伝えるかわりに母の期待に応えることが、私なりの愛情表現にすり替わっていたんだ。私のこれまでの行動の源はそこだった。
やがて、大好きと伝え合うことを、母ではなく異性に求めるようになっていた。
でも自分の本音を言葉にすることは苦手なままで、それは承認欲求という姿に形を変えて現われていたような気がする。
じゃあ、母に大好きと言ってもらう?言ってみる?
いや、恥ずかしくて言えないなー。
今はもう十分、愛されているのをわかってるから。
かつては世間体を気にし、表面的な部分だけで私のことを判断してけれど。
母もかつて子どもの頃、祖母(母の母)に甘えられずに育ったんだろうな、とも思う。
言いたくなければ言わなくていいし、伝えたくなったら伝えればいい。
・・・
くすぶり続けてたというのは
「(欲求に素直になることを子どもたちに許したら)子ども時代に我慢していた自分が報われない」という感情でした。
大好きと伝えるかわりに母の期待に応えることが、愛情を表現することだとすり替えていた子ども時代。
でも実は、たくさん我慢していたのです。
母に認められたくて、喜んでほしいあまり、「自分の本当の気持ち」を押し殺していたのです。
くすぶり続けていた感情は、実は「私の声を無視しないで」という心の叫びでもありました。
価値観の依存
母は世間体を強く気にする人でした。
だから、いい大学に入って、いい会社に入って、結婚して、子どもを産むことが、幸せへの道なんだと思っていたし、それを私に望んでいました。
そして、私はその条件を満たしていくことに必死でした。
親の期待に応えようとして、親の価値観の中で生きてきたのです。
親の価値観への依存とも言えるかも知れません。
それはやがて、主人の価値観や世間一般の価値観への依存にもつながっていきます。
妻だから、母だから、こうあるべき…
自分を、夫や子どもの付属物のように扱ってきました。
本音で話ができる相手だと思って結婚したけれど、依存している限りバランスはとれません。いつの間にか主人の顔色を伺うようになっていました。
どんなことが好きとか、何をしている時が楽しいとか幸せとか
何をしたいとか、自分にしかわらかないはずなのに。
自分は何者で、どうしたいのか、どう生きたいのか、ということを自分で決めることを放棄し、他人が定義する幸せの条件を追いかけて生きてきたのです。
自分の声を無視し続けてきたんだ…
その苦しさは、最初は小さなものだったけれど、気がつくと雪だるまのようにどんどん膨れていました。
愕然としました。
意識の最も深い場所からすくいだしたもの
けれど、意識の最も深い場所に追いやった、「見たくないと思っていたもの」に光が当たったようでした。
痛みの悲鳴や自己否定、悲しみ、憎しみ、醜さ、抑圧、あらゆるダークなものたちと一緒に埋もれていたのは、ずっと無視し続けられて、小さく萎縮した自分の声。
「存在を認めて」「私の声を受け止めて」と訴えていたのです。
これだったのか…
感情の海の底でそっとすくい、浮力に任せて上昇しているような感覚になりました。
私、自分のこと、ちゃんと幸せにしてあげたい。
自分の声に耳を傾けよう、そう決意します。
(続きの記事です)