「人々はいつからジャンクセックスをしていたのか」ということに関心を持っていた私は、性に寛容な社会だったと言われる江戸の性事情について調べていく中で、予想を超えるお盛んぶりとそれによる暗黒面を知り
しかしながら、現代人の感覚では計り知れない、懐の深い社会であったことを知りました。
しかし、性行為そのものにフォーカスすると、屏風で空間を仕切るような当時の家屋事情や、暖房がなくて着物を着たままの性行為、男性を喜ばせつつ早く終わらせるための遊女の性技、線香1本で時間を計った格安な岡場所の「ちょんの間」などから考えると、いわゆるジャンクセックスだったといえると思います。
(ジャンクセックスとは、射精を目的とした一般的なセックスのことで、アダム徳永さんが使われている言葉 >>詳細 )
ではそれより以前の時代はどうだったのか、と考えていると、ある1冊の古い時代の文献にたどりつきました。
印象に残ったキーワードから
きっかけは、江戸の性事情の本を何冊か読んだ際に、印象に残った「房中術」という単語の意味を調べたことでした。
『日本大百科全書』によると「房中術」とは
男女の交合によって不老長生を得ようとする養生術。本来,男女の気を交えることで体内の陰陽の気の調和を図り,あわせて精気の消耗を防いで健康を保持し長寿を得ようとする古代保健医学の一分野で,主として性交の際の禁忌や技法を説く。
※1
とありました。
紀元前後の頃の書物には既に登場した術で、神仙術(仙人の行う不思議な術)に取り込まれ、しだいに複雑かつ神秘化されていきましたが、いずれにしても
体内の精気を外に泄(もら)さず脳に還流させる〈還精補脳〉
という考え方が根底にあったようです。
この説明を読んだ時、私はすぐにアダム徳永さんの性エネルギーの話を思い浮かべました。実はブログには詳しく取り上げませんでしたが、アダムさんの著書『たった3分からの大逆転 男の「早い」は才能だった』には、気を脳に上げる方法や、男女間で性エネルギーを循環させることが書かれていたのです。
「還精補脳」という言葉も重要なキーになりそうだとメモをとりました。
さらに説明を読んでいくと
なお,日本の丹波康頼の《医心方》房内篇は,《素女経》《玄女経》《玉房秘訣》などの房中術書の逸文を多く載せることで著名である。
という記述で「医心方」の存在を知り、さらにいろいろ調べているうちに、現代語訳本が出ていることがわかり、図書館で借りて読んでみたのです。※2、3
医心方とは
医心方(いしんぽう)とは、平安中期に朝廷に献上された、現存する日本最古の医書です。著者は宮廷医の丹波頼康。
有史以来九世紀までの漢訳された医書を集め、選んで編纂し、人間の心と体に関するあらゆる知識を集結させた、全30巻からなる医学全書(事典によって「隋唐代の医学」の撰集と書かれているものがあるが誤り)。
幕末まで秘蔵され、また文字が暗号化されており、長い間一部の人しか読むことができなかった幻の医学書とも言えるでしょう。
引用元の文献は中国でも日本でも失われていて、中国医学史の研究においてもきわめて貴重な文献となっています。
本書には医心方がたどってきた数奇な運命や、著者の槇佐知子氏が40年の歳月をかけて全巻解読・翻訳されたことも書かれていました。翻訳の過程で、研究者から尊厳を欠いた扱いを受けられたのですが、それは著者が女性であることと無関係ではないでしょう。しかし著者は争うことではなく、翻訳を完遂させることにエネルギーを注がれました。
そのような道のりを思うと、千年もの間誰も読めなかった本を、こうして手に取り、わかりやすい現代語訳を通して読むことができることが、奇跡のようにも感じられました。
収録内容と時代背景
内容は内科、小児科、産婦人科、耳鼻咽喉科、歯科、眼科など、現代でもそのまま通じる分類が並び、そのほか寄生虫科、養生、さらには占相、呪術や性愛術も含まれます。
平安時代は、貴族社会を中心とした雅な王朝文化の陰で、庶民はみじめな生活を強いられていました。病気の民は息のあるうちに路上に捨てられ野犬の餌食となり、河原には屍が満ち、その腐臭は御所にまで届いたそうです。
また、日常生活に仏教が根深く浸透して、貴族から庶民にいたるまで迷信にこだわり、病気の治療は医薬よりも祈祷を重んじた時代でもありました。
そのような時代において、あまたの文献を収集して、論者名、出典名を明示して理論や処方を紹介し、医師たる者のモラルまで説いた医心方は、当時の最高水準の知識が詰まっていたといえるでしょう。知識というより、叡智といってもいいかもしれません。
漢訳されているので、一見中国の文献からだけの引用に見えますが、伝道僧や求道僧が中国語訳したインドの文献も多く、引用書は200余点に及びます。また、薬剤の原料は、朝鮮半島や中国、インドをはじめ、アフリカクロサイの角なども記されており、想像を超える広範囲での文化交流があったことも見えてきます。
読む方によって、さまざまな発見があるのではないでしょうか。
房内篇について
さて、医心方の第二十八巻「房内篇」が性愛の書であり、房中術についての巻になります。
陰陽五行思想に基づく交接の道や、性交の際の禁忌、技法などを説いているのですが、主に黄帝(こうてい)と呼ばれる古代中国の帝が、性に関する様々な疑問を投げかけ、房中術に詳しい女仙や仙人が答える、という問答形式で構成されています。
私がまず最初に注目したのが、いつの時代から伝わる情報なのか、ということ。引用書が「書かれた」時代ではなく。
本書には
古代中国の、専制君主や王侯貴族のための文献から
選び、集められものであり
引用書も隋唐代から紀元前に遡り、有史以来の中国の伝承医学の文字化されたものや、インドから伝わった医書や経典の中国訳からの引用もある
※1 ⅷ
と書かれています。
有史以来とは、文字による記録が始まって以来という意味。
つまり、いつの時代の、とはっきりわからないほど前の情報、ということになるでしょう。
本書に登場する黄帝は「紀元前三世紀の伝説的帝王」と紹介されていますが、世界大百科事典によると
中国,古代伝説中の帝王。姓は公孫,名は軒轅であるといわれる。
戦国時代の斉国の青銅器銘文では,黄帝を高祖と呼んでいるから,東方地域の人々の間には,黄帝を始祖とする伝承があったことはあきらかである。
※5
戦国時代とは春秋戦国時代のことで、紀元前8世紀から前3世紀にかけての古代中国の変動期。その時代に「黄帝を始祖とする伝承があった」ということは、前3世紀より前の帝王と考えることができますし、もはや神格化されて時代を特定することが困難にも思えます。
また仙人の彭祖(ほうそ)は殷代の仙人と書かれています。中国古代の王朝の殷は、年代については諸説ありますが、ほぼ紀元前17、16世紀の境より、前11世紀なかばごろまでと考えられています。※6
さて、そんな古い時代からの伝承が記された文献には、どのような性の理論が展開されていたのでしょうか。
目次
以下は房内篇の目次で、( )で大まかに分類しました。
- (交接の道や房中での心得)
-
- 道理にかなった性交
- 男性のための房内術
- 女性のための房内術
- 心の融合
- (前戯の心得や女性の状態を知る手がかり)
-
- 前戯について
- 玉茎について
- 女性の快感の徴候を知り、対処する方法
- 五欲とは
- 十の動作について
- 男性の「四至」について
- 九気とは
- (体位について)
-
- 九つの技法
- 三十法とは
- (男性器について)
-
- 九つの形態
- 六勢とは
- (性交による損傷、それを治す性交法)
-
- 八益とは
- 七損とは
- (房中術の要)
-
- 還精とは
- 射精について
- (その他ハウツー)
-
- 損傷の治療法
- 子どもをほしいときは
- 好女とは
- 男性にとっての悪女とは
- 禁忌
- 鬼交を断つ方法
- 精力増強薬と弱める薬
- 玉茎が小さい場合
- 玉門が大きい場合
- 破瓜痛の治療法
- 成人女性の損傷の治療法
交接の道はどうあるべきか、また前戯の心得や女性への接し方に多くのページが割かれていることがわかります。
また、玉茎とは男性器、玉門とは膣、破瓜とは初体験のことですが、現代人にも通じる悩みを当時の人が抱えていたことも垣間見えてきますね。
具体的な内容については次回へつづきます。
(続きの記事はこちら)
記事の感想をいただきました!
そして読み物ならウッペさんのnote。中でも魅了されたのが江戸時代の性に関する記事と房中術の記事。凄い熱量が籠もってて鋭い解析と明確な思考を文才バシバシ感じさせてくれて読み応え凄って感じ!超オススメ!
妻博士・男性
引用・参考文献
※1)"房中術". 日本大百科全書. 小学館. ジャパンナレッジ, https://japanknowledge.com/, ( 参照 2021-03-10 )
※2)丹波 康頼. 医心方. 槇 佐知子訳. 筑摩書房, 2004, (房内篇, 28).
※3)槇 佐知子. 『医心方』事始. 藤原書店, 2017.
※4)丹波 康頼. 石原 明編. 医心方: 宮内庁書陵部蔵本. 至文堂, 1967, (房内, 28).
※5)"黄帝". 世界大百科事典. 平凡社. ジャパンナレッジ, https://japanknowledge.com/, ( 参照 2021-03-16 )
※6)"殷". 日本大百科全書. 小学館. ジャパンナレッジ, https://japanknowledge.com/, ( 参照 2021-03-15 )