に引き続き、「医心方・房内篇※1」について解説していきます。
前回の記事で、交接の道の重要なポイントの一つとして「男性の心得」をあげていましたが、今回詳しく取り上げます。
還精補脳(補益)
還精補脳(補益)とは
まず、男性の心得を理解する上で、前々回の記事で登場した「還精補脳」という言葉が重要になってきます。
これは
体内の精気を外に泄(もら)さず脳に還流させる
※2
という考え方でしたね。
本書にもこの言葉が登場し(p189)
精を還(かえ)して脳のはたらきを補うこと
第十八章 還精とは p190
と注釈がありました。
また、「還精補益」という表現も見つけましたが、同じ意味でしょう。
玉茎をよく動かしても射精しないのが、いわゆる『還精』でございます。還精して補益(補養)いたしますと、生きる道がそれによってはっきりとおわかりになります。
第一章 道理にかなった性交 p19
ここで、「射精しない」と書かれていますが、つまり、還精補脳(補益)とは、射精をせず、精をめぐらせ(還精)、脳や体の働きを補う(補脳・補益)ことなのです。
射精してはいけない
男性のみなさんはきっと驚かれたのではないでしょうか。
(セックスのことを勉強されている方は、江戸時代の儒学者、貝原益軒の「接して漏らさず」という言葉を聞かれたことがあるかもしれません。)
実は、「射精をしてはいけない」という教えが本書には頻繁に登場します。
例えば
- 射精の段になったら、それを抑制すべきである(p58)
- 女性と交接しても射精してはならない(p68)
- 萎えしぼんで死還してはならない。必ず生還しなければならない(p79)
- このように行って射精しないようにしますと、精力は百倍になります(p122)
- いつも自分を見失わないようにして、射精はしてはなりません(p226)
- 房内の道を知る者は、女性をねんごろに扱うが、射精の回数は多くない(p15−16)
など。
精の働き
では、精にはどのような働きがあると考えられていたのでしょうか。
精(精液)を大切にして神を養い、薬効のあるものを服用したり食べたりすれば、長生きすることができるだろう。
第一章 道理にかなった性交 p9
神(しん)とは、「生命活動の現象を主宰するもの」「人体に最重要の地位を占め、内臓機能のバランスを維持するはたらきを持つもの」と注釈にあります。
精を大切にすることは、生命活動の現象をコントロールするはたらきを養うこと。
逆に精を大切にしないと、体のさまざまなところに不調をきたすと考えられていました。具体的に説明したものが、次の問答にありました。
『玉房秘决』にいう、
采女がこのような質問をした。
「交接は射精するのが楽しみなものです。いま、それなのに射精しないようにすれば、何を楽しみとするのでしょうか」と。
彭祖は次のように答えた。
「そもそも射精すれば身体が疲労でだるくなり、耳はとても嘈々(そうそう・耳鳴り)とし、目は眠くてたまらなくなり、のどはカラカラに乾き、骨節はバラバラに分解して堕ちたような気持ちになる。回復はするけれども、しばらくすれば快楽は結局楽しくないものとなってしまう。
もしも感動しても射精しなければ、気力に余裕ができて体が十分にくつろぎ、耳目聡明となり、自分で抑制していてももっと愛し合いたい気持ちになるものだ。もし、いつも(精が)不足していたら、何によって楽しんだら良いのかね」と。
第十八章 還精とは p184
「射精をしてはいけない」と聞いて疑問に思うことは、現代と変わらないですね。
射精すると、耳、目、のど、骨節が衰え、楽しめなくなってしまう、
射精しなければ、気力、体力に余裕ができて、もっと愛し合いたい気持ちになるものだ、とあります。
他にも
おおむねこれらの損傷は落着いてゆるやかに性交を行わず、にわかに急いで射精するのが原因である。これを直す方法は、性交するとき女性を思いのままリードして射精しないことである。そうすると百日経過しないうちに気力は必ず百倍になる
第二十章 損傷の治療法 p208
体に起こる損傷は、急いで射精するせいだし、射精しなければ気力は百倍になる
もし射精したくなったときは、すばやく身を退(ひ)くべきです。(中略)そのように射精しないよう大切にしていれば、寿命も尽きることがないのです。
第一章 道理にかなった性交 p17
そもそも男女の性の道においては、精液を貴重なものとして大切にすれば、性命(本性と命)を保つであろう。
第二十章 損傷の治療法 p221-222
精を大切にすると長生きできる、とあります。
損傷の治療法
交接による治療法
ではもし、損傷してしまったらどうしたらいいのか。その方法も書かれていました。
黄帝がいわれた。
「このような禁を犯したら、どんな治療法をしたらいいのか」と。
子都は次のように答えた、
「その場合は女性によって治療し、元に戻すべきでございます。
第二十章 損傷の治療法 p225
つまり、交接による損傷を、交接によって治療するのです。
具体的な方法は
- 「第二十章 損傷の治療法」…交接による治療法
- 「第十七章 七損とは」…性交によって男性が受ける七つの損傷とそれを治す性交法
などにあるのですが、対応方法がたくさん集められているところをみると、大昔の人も本能をコントロールするのが難しかったということでしょうか。
他にも「第十二章 九つの技法」のいわゆる体位に関する記述も見てみると
女性をうつ伏せに寝かせ、そのからだをまっすぐに伸ばさせます。男性はその背後に伏して、玉茎を深くいれ、女性のお尻を少し持ち上げて、その赤珠(せきじゅ)を六九(ろっく)、五十四回たたきますと、女性はもだえて愛液を流し、陰(ほと)の内部の動きが急になり、外に向かってゆったりと開きます。女性は絶頂感に到達するとそこで動きを止め、七傷が自然に除かれます。
第十二章 九つの技法 p120−121
というように、具体的な技法に加えて、「(交接によって受けた)七傷が自然に除かれます」と治療効果も書かれています。他の体位の説明にも同様に、「あらゆる病気が消滅する」「男性は精力旺盛になる」などの記述がありました。
ちなみに、ここで紹介されている九つの体位とは
- 竜翻(りゅうほん)
- 虎歩(こほ)
- 猿摶(えんばく)
- 蝉附(せんぷ)
- 亀騰(きとう)
- 鳳翔(ほうしょう)
- 兎吭毫(とこうごう)
- 魚接鱗(ぎょせつりん)
- 鶴交頸(かくこうけい)
のことで、動物や伝説上の生き物の名前が入っているように、その姿態から名付けられたものです。
なお上記は、「蝉附(せんぷ)」の説明でした。
女性の精液を吸収
さらに私が注目したのは、女性から精気を吸収し、脳や体にめぐらせる、という記述。
相手の女性の精液を上鴻泉(じょうこうせん=脳質)に吸収して還精すれば(精をめぐらせば)、皮膚はつややかに光沢を帯び、身体は軽やかになり、視力もよくなり、気力は強く盛んになる
第二章 男性のための房内術 p41
低いとろこにぴったり伏して、その溢れる愛液をお採りください。丁(てい・男子)は口(こう・女性)の液を吸いますと、精気が還元して脳髄を満たして七損(性交によって男性が受ける七つの損傷 第十七章)の禁を避けます
第四章 心の融合 p66
射精後は女性から吸収した精気によって、自分のエネルギーを補うべきである。
第二十章 損傷の治療法 p221
精液とは、男性のものだけでなく、女性の愛液や唾液も精液と捉えられており、それを取り入れ、めぐらせることで、傷が治ったりエネルギーが補えるとあります。
自分の精液か女性の精液か、という違いがありますが、これも還精補脳(補益)と言っていいのではないでしょうか。
つまり、正しい交接によって精気を溢れさせ、それを取り入れることで、男性は女性から活力を受け取れると考えられていたのです。しかもそれだけでなく、女性の病気も取り除くとも考えられていました。
そのことは、「第十六章 八益とは」に書かれている、性交によって男性が受ける八つの益と女性の冷え・月経不順などを治す効果、や
女性が先に歓喜すれば、男性は衰えないのでございます
第四章 心の融合 p63
交接の道には、本来、形状がございます。男性が気をもたらせばそれによって女性の病気は除かれます。
第四章 心の融合 p62−63
男性も女性もすべての病気が消滅するのでございます
第五章 前戯について p80
からも読み取れます。
厳密には、男性が相手の気を吸収することで女性は損失をこうむる、という記述もなくはないですが、おおむね、女性も病気が治る考えられていたと言えるでしょう。
房中術の要
いかがでしたでしょうか。前回と今回にわたり、『医心方・房内篇』に繰り返し登場する教えを取り上げながら、本書が説く房中術の全体像についてまとめました。
交接の道を正しく行えば、男女ともに恩恵を受けることかできる一方で、誤ると損傷を被ること、そしてそれを整えるのもまた交接の働きであること
男女の性交は、大切に慎重にあつかうべきと考えられていたことなどが伝わってくる内容でした。
実は本書には、房中術について
一晩に十人の女性を相手に性交して、自分は射精しないというだけのことである。房中術とは、たったこれだけのことである。
第一章 道理にかなった性交 p32
と書かれている箇所があります。
「相手にする女性を取り替えよ」や「童女を相手にするのが良い」と書かれているところもあり、一見すると、何人もの若い女性と交わることが房中術だと説いているように見えます(ちなみに黄帝は1200人の女性を相手にしたそうです)。
その後、本書を一通り読み、いやいやそうではなくて、何度も登場する「射精しないこと」が房中術の核心なのではと思ったんです。
でも、「道は遠い所に求めるな。ただ、それを俗人は気づくことができないだけである(p45)」
の言葉が、頭の中に繰り返しやってきて、慎重に読み解くように促されました。
そこでさらに注意深く読んでいくと、「射精しない」の土台にあるのが「還精補脳(補益)」の考え方であり、めぐらす精は自分の精のこともあるし、相手の精のこともあることに気が付きました。
射精を我慢することは、「手段」であって目的ではない。お互いの精気を生じさせて、それを漏らさずにめぐらせること。それが房中術の要なのではないか、と。
無理やり相手を従わせることは、女性から恵みを受け取れないうえに、男性自身にも大きなダメージも与えてしまう。
そこで損傷を防ぎ、命を養うために
- 心の融合
- 十分な前戯
- 射精をしてはならない
という教えが繰り返し伝えられているのではないでしょうか。
射精することがセックスのゴールのようにとらえられている現代の一般的なセックス観において、特に「射精をしてはならない」というのは、大前提を覆すほどインパクトがあることと思います。
しかし、その言葉のインパクトにとらわらず、根底にある考え方に注目すると、古代から伝わる房中術は、現代でも十分耳を傾けるに値する、男女の道のあるべき姿といえるでしょう。
そのような観点から、最初に紹介した「交接の道」を読み返すと、より深く意味するところが理解できると思います。ここで改めて引用を載せておきます。
陰陽は互いに感じ合ってこそ、それに応えるのでございます。ですから陰は陽を得なければ喜びませんし、陽は陰を得なければ勃起できません。男性が交接を望んでいるのに女性が一緒に楽しもうとしなかったり、女性が交接したがっているのに男性がその気にならない場合は両者の心が和まないため、精気を感じることができません。そのうえ一方的に急に抜去したり俄かに挿入したりといった乱暴な扱いをすれば、とても愛や歓楽を味わうことなどできません。
男性が女性を求め、女性が男性を求めて互いの情感が一致すれば、共に歓喜を味わうことができます。
第四章 心の融合 p69−70
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引用・参考文献
※1)丹波 康頼. 医心方. 槇 佐知子訳. 筑摩書房, 2004, (房内篇, 28).
※2)"房中術". 日本大百科全書. 小学館. ジャパンナレッジ, https://japanknowledge.com/, ( 参照 2021-03-10 )