その1はこちら
ストーリーを振り返る
映画の後、原作者の石田衣良さんのインタビュー記事を読みました。
※サイト閉鎖につき、現在は読むことができません。
映画の公開に合わせて、約10年ぶりに『娼年』の続きの世界を描くことになったが、社会の中での性の地位の低下を痛感した、ということが書かれていました。
見えてきたのは、やっぱり「現代の性ってすごく難しいんだな」ということでしたね。
社会の中での性の地位が、ぐんぐん落ちて、領土が小さくなっちゃったから。今から30年ぐらい前で考えたら、セックスや恋愛を書く小説家って、大きなテーブル全体の3割ぐらいはいたんですよ。でも今はもう、この袋(スティックシュガー)ぐらいの大きさじゃないかな。
今ではレスが当たり前で、そうではない人がよくやるね、みたいになっちゃっていますからね。ちょっと日本、おかしいな、どうしちゃったんだろう、というのは感じますね。少子化も激しくなっていますし。好きな人と、もっとちゃんとセックスすればいいのにって。日本の不幸はそこにあるんだと思うんですよ。
現在の日本の社会で置き去りになっている性が受け止められていることに、ほっと安堵し、もう少しこの作品とちゃんと向き合ってみることにしました。
記事の中で特に印象に残ったのは
秘密を開示し合って、相手を少しずつ変えていくのが性の醍醐味
というフレーズで、また頭の中でぐるぐると回り続けます。
欲望の秘密はその人の傷ついているところや、弱いところにひっそりと息づいている。
予告編のこの言葉とともに、映画のストーリーをもう一度振り返っていきます。
どんな相手の、どんな秘密も
一見滑稽で、眉をひそめるような欲求も
リョウは分け隔てなく受け入れていく
それが映画の根底に流れていたテーマのように思います。
秘密や弱さの中にその人の本当の欲望が隠れている。
それを受け止め、受け入れることで初めて心が開き、体と心が一つになる。
それが性の醍醐味だと伝えてくれているような気がしました。
再び映画館へ、そしてやってきた気づき
確かめるように、もう一度映画館へ足を運びました。
一度目よりリラックスして登場人物の心の動きを追いながら観ることができたと思います。
本当の喜びは、誰でも見えるところにはなくて、簡単には触れられないように守られている。
尊い場所にあり、愛おしさと敬意を持って接することで開かれる…
これまで私は、秘密や欲求を心の奥底に押し込めて生きていました。
自分自身のネガティブな部分を拒絶し続けていたのです。
弱い部分を知られるのが、とにかく怖く、心を開くことに、強い苦手意識を持っていました。
でも、本当の幸せはそこに隠れているのかもしれない。
繰り返し私に投げかけてきたフレーズは、押し殺してきた感情の向こう側にあるものに、目を向けるよう促していたのかもしれません。
(つづきの記事はこちら)