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陽気で矛盾に充ちた昔の日本人 -『逝きし世の面影』

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春画 ハシゴで曲芸をする半裸の遊女 アムステルダム国立美術館

"Serie van twaalf koban Shunga met prostituées in de rol van acrobatische brandweerlieden" owned by Rijksmuseum - Europeana

 

と、予想をはるかに超える江戸の性の開放性と、それによってもたらされる悲惨な状況をみてきました。

 

江戸の性事情を知るにつれ、当時の社会が内包する風紀の乱れや闇を垣間見たと思ったわけですが、ある本を読み、実際は、当時の人々が必ずしも節度がなかったわけでも、不幸に打ちひしがれていたわけでもない、と知ります。どういうことか、ご紹介していきます。

 

ここまでは江戸時代における江戸の話が中心でしたが、今回は時代も地域ももう少し広い範囲になります。

 

  • 記事中に差別的な表現が出てくることがありますが、当時の社会的、文化的状況が反映された表現ですので、ご理解をお願いいたします。

 

逝き世の面影

私が読んだある本とは『逝き世の面影※1』。

この本は、幕末から明治初期にかけて来日した欧米人による膨大な資料を元に書かれたもので、外国人観察者の視点を通して当時の人々の様子が生き生きと描かれています。

 

一般的な文庫本の2−3冊分くらいの厚さがあり、文章が難解な上に文字のサイズも小さめでなかなか進まず、読み飛ばしたところもありますが、そこに書かれている祖先たちの姿は、私が思い描いていた昔の日本人のイメージを次々と覆すものでした。

 

 

明るさ漂うダークサイド

まず、売春や性病に対する記述をみていきましょう。

外国人たちは

この国のダークサイドを形づくるのは、何といっても公然たる売春にともなう性病の蔓延だった。「そのほかの点ではあんなに美しい島国であるのに、その国では詳しく調べてみると日本人全体がすでに著しい頺廃(はいたい)の特徴を示している」(ポンペ)

p147-148 

 

遊女は一般に二十五歳になると解放されるが、たいてい妓楼主から借金を負うはめに陥り、本来の契約期間より長く勤める場合が多い。彼女らの三分の一は、奉公の期限が切れぬうちに、梅毒その他の病気で死亡する。江戸では遊女の約一割が梅毒にかかっているとみられるが、横浜ではその二倍の割合である。梅毒では田舎ではまれだが、都市では三十歳の男の三分の一がそれに冒されている。(ウィリス)

p329

と性病の蔓延を憂いています。

 

しかし、彼らが驚いたのは

売春の悲惨さに対してではない。悲惨さを伴うはずの、そして事実伴っている売春が、あたかも人性の自然な帰結とでもいうように、社会の中で肯定的な位置を与えられている

p329−330

ことでした。

むろん女郎買いは、当時の日本人の意識の中で道徳的にまったく問題のないものとされていたわけではない。それが一種の悪と意識されていたのは、悪場所という言葉自体が示している。しかし彼らはその悪に、公然たる存在の場所を与えた

p330

女郎買いは悪としながらも、排除せずに居場所を与えたのです。

 

また遊女について

パンペリーにとっては「日本は矛盾に充ちた国」だった。なぜなら「婦女子の貞操観念が、他のどの国より高く、西欧のいくつかの国々より高い水準にあることは、かなり確かである」のに、「自分たちの娘を公娼宿に売る親たちを見かけるし、それはかなりの範囲にわたっている」からである。

p324

 

子供は両親の家を後にして喜んで出て行く。おいしいものが食べられ美しい着物が着られ、楽しい生活ができる寮制の学校にでも入るような気持ちで遊女屋に行く(カッテンディーケ)

p325

 

彼女たちは自分たちの身の上に何の責任もないので、西洋の不幸な女たちをどん底に引きづりこむ汚辱が彼女たちにつきまとうことはない。(パンペリー)

p324

といった考察が見られます。

 

他にも、瀬戸内に停泊した船に女がやってきて売春する光景を

彼女らはお辞儀をしながら登場し、なんの恥じらいもなく単刀直入に、何しに来たか言う。われわれは女どもが殺到してくるにまかせる。彼女らは(中略)夕方まで戦闘に挑む。全艦小さな叫びと笑いさざめく声

p333

がしたと、大尉ヴィオは日記で語り

 

それにしてもこの祭りのような明るいあっけらかんとして風景は何だろう。売春の陰微さ陰惨さはどこにあるのだろう。

p333

と筆者は付け加えています。

 

外国人観察者は日本のさまざまな暗黒面を知り尽くしながらも、江戸という文明の奇妙なかたちに心魅かれ続けましたが、それは現代人にとっても同様に、不思議で驚きに満ちた光景と言えるではないでしょうか。

私たちはもっと、我々祖先の素顔を知らないといけないのかもしれません。

 

このように、明るくあっけらかんとした態度は、性に関することだけでなく、江戸時代の社会全体に行き渡った空気でもありました。

 

 

江戸時代の人々の素顔をさらに見ていきます。

 

江戸時代の人々の素顔

陽気で幸せに満ちた日本人

日本に初めて訪れた欧米人たちの日本人に対する第一印象は、「陽気で幸福に満ちた人々」というものでした。

 

日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる(オールコック

p74

 

誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現われていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。(ヘンリー・S・パーマー)

p75

 

オズボーンは江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて」出会わなかった

p76

 

日本人ほど愉快になりやすい人種はほとんどあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである(ボーヴォワル)

p76

 

彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活のきびしい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。(中略)頭をまるめた老婆からきゃっきゃと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。(英国人ディクソン)

p77

 

 

礼儀正しく親切な日本人

そして、彼らは礼儀正しく親切でもありました。

火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持ってきてくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。…

 

もっとも大胆なものは私の服の生地を手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出していくこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると…『大変有難う』と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。

 

私が遠ざかって行くと、道のはずれ迄見送ってくれて、殆ど見えなくなってもまだ『さようなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情の籠った声が聞こえるのであった。(リンダウ)

p79

 

東北地方を馬で縦断した英国女性のイザベラ・バード

私は親切な人びとがどこにでもいることについて語りたい。二人の馬子はとくにそうだった。(中略)彼らは私を助けようと、できることは全部してくれた。馬からおりるとき優しく支えてくれたり、のるときは背中を踏み台にしてくれたり、赤いイチゴを手に一杯摘んできてくれたりした。

p81−82

 

外国人と人々の気持ちの通った交流に、心が温まります。

 

日本人は丁寧で親切でありながら無邪気で人なつこく、そして善良で、好奇心にとみ、生き生きとしていたのです。

 

 

日常を幸福たらしめるもの

そしてその満足な様子は、暮らしの隅々まで行き渡っていました。

 

この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。……日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術(チェンバレン

p230

 

田舎の旅には楽しみが多いが、その一つは道路に添う美しい生垣、戸口の前に奇麗に掃かれた歩道、室内にある物すべてが小ざっぱりとしていい趣味をあらわしていること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木の目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤(こぶ)、花をいけるためにくりぬいた木質のきのこ。これ等の美しい品物はすべて、あたり前の百姓家にあるのである。(モース)

p230

暮らしの中の日用品が美しく、また

 

日本人の性格の注目すべき特徴は、もっとも下層の階級にいたるまで、万人が生まれつき花を愛し、二、三の気に入った植物を育てるのに、気晴らしと純粋なよろこびの源泉を見出していることだ。(フォーチュン)

p46

 

田舎ではちょっとした眺めの美しいところがあればどこで、または、美しい木が一本あって気持ちの良い木陰の隠れ家が旅人を休息に誘うかに見えるところがあればそんなところにも、あるいは、草原を横切ってほとんど消えたような小道の途中にさえも、茶屋が一軒ある(ボーヴォワル)

p451

 

金がある奴はお茶か酒、たいていは後者を一杯やる。金のないのは腰掛けに坐り、他人が一杯やっているのをじっと見つめてご満悦なのである(ジェフソン=エルマースト)

p451−452

美しい草花や風景を心から愛した。

 

そして、金が無くても、無いなりの楽しみ方を知っていました。

 

日本人の現実の生を幸福たらしめたのは

日常生活を形どる礼節であり、身辺を慰める細々したかざりものであり、さらに美しい風景ではなかったか

p30

と筆者は述べています。

 

浮世絵 スウェーデン民俗学博物館

"träsnitt, 浮世絵, ukiyo-e " owned by Etnografiska museet - Europeana

 

 

欧米人からみた日本人の矛盾

自由と身分

このように、民衆が生活にすっかり満足しているという事実は欧米人にとって大きな驚きでした。なぜなら彼らは

日本は将軍の専制政治が行われている国で、民衆は生活のすみずみまでスパイによって監視され、個人の自由は一切存在しないと聞かされていたし、実際に来訪して観察したところでは、それはたしかにこの国の一面であった

p262

からです。

にも関わらず、人々は満足感と幸福感に満ちていました。

 

彼らが見たのは、

武装した支配者と非武装の被支配者とに区別されながら、その実、支配の形態はきわめて温和で、被支配者の生活領域が彼らの自由にゆだねられているような社会

であり

富める者と貧しき者との社会的隔離が小さく、身分的差異は画然としていても、それが階級的な差別としての不満の源泉となることのないような、親和感に貫かれた文明

p290

でした。

 

つまり、支配する者とされる者、また、豊かな者と貧しい者といった身分の差は確かに存在するけれど、それで自由を奪われたり差別をうけることがなく、それぞれの身分の居場所が与えらた社会だったのです。

 

 

あけっぴろげ

もう一つ、外国人が驚いたことがあります。

それは、こんなにも礼儀正しい日本人の、あけっぴろげな生活です。

 

すべての店の表は開けっ放しになっていて、なかが見え、うしろにはかならず小さな庭があり、それに家人たちは座ったまま働いたり、遊んだり、手でどんな仕事をしているかということー朝食・昼寝・そのあとの行水・女の家事・はだかの子供たちの遊戯・男の商取り引きや手細工ーなどがなんでも見える。(オールコック

p155-156

 

開放されているのは家屋だけではありませんでした。

人々を隔てる垣根は低かった。彼らは陽気でひとなつこくわだかまりがなかった。モースが言っている。「下層民が特に過度に機嫌がいいのは驚く程である。」

p563

 

人びとの心の垣根も低く、それが性の開放性にもつながっていきます。

 

(つづきの記事はこちら)

 

 

引用・参考文献
※1) 渡辺京二. 逝きし世の面影. 平凡社, 2006.

 

渡辺京二『逝きし世の面影』