セクシャルブックマーク

〜レス妻の目覚めの記録〜

あらわになった私の課題 − 女神のセッション後

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に続き、セッション後の内観レポートです。

 

 

実を言うと、私は自分でも薄々気がついていました。

 

どんなにファッションやメイクで外見を取り繕っても、私には女性として決定的に何かが欠けている、ということを。

 

それが何か知りたい、取り戻したいと、ずっとどこかで思っていました。

 

女神のセッション後、私は徹底的に自分と向き合い、その欠けていたものを見つけ、取り戻すための具体的な方法に気がついていきます。

 

 

私たちは、古い記憶の些細な傷だったり、あえて思い出さないようにしてる出来事によって、普段の思考や行動が大きく制限されていることがあります。

 

アダムさんは「セックスはメンタルが7割、フィジカルが3割」とおっしゃっていましたが( >> )、その影響が最も強く現れるのが、もしかしたらセックスの現場なのかもしれません。

 

無意識の領域に追いやったこれらの傷は、放置しても決して消えることはありません。かと言って、向き合おうと思っても、きっかけがないと(たとえあったとしても)なかなか難しいことでしょう。

 

女神のセッション後、私はあらわになった自分の課題と向き合い、深く潜る中で様々な気づきを得ていきました。

 

そのプロセスを読みながら追体験していただくことで、一人では潜ることが難しい、心の奥底に閉じ込めていたものに意識が向き、何らかの解放が起こりやすくなるでしょう。

 

私と同じように、切り離していた女性性を取り戻したい方はもちろん、

 

女性に対して寄り添い方がわからない男性にも

 

きっと大切なヒントを掴んでいただけるのではないかと思っています。

 

 

自分自身と向き合った記事は他にもあって、それがこちらなんですが

これらの記事が、私の中の男性性の立ち上がりだとしたら、今回の内容は女性性の目覚めになったのではと思っています。先にこちらを読んでいただくといいかもしれません。

 

 

弱音を吐くことも、泣くことも自分に許さず、
強くあらねばと踏ん張ってきた男性たちに

 

その繊細な肌感覚なゆえに、
他人の気持ちや先々の事を優先し、
本当の自分を置き去りにしてしまった女性たちに…

 

ぜひ読んで欲しい。

 

 

(読みやすくするために、見出しや画像を追加しています。)

 

家に帰ってから

 

家に帰ると、ぐったりとした疲労感と、
ますます強くなる悔しさ。

布団に入って「あー、悔しいなぁ」と
呟いた瞬間、涙がどっと溢れてきました。

 

『そうか、私は悔しいんだな…』

震える感情が胸いっぱいに広がっていきました。

 

「悔しい。悔しい…」

 

口にするたび次から次へと流れる涙。

 

 

『そりゃそうよね。

幸せなセックスについてたくさん学んできたし、
これまで無視し続けてきた自分の内面に
もたくさん向き合ってきた。

女神のセッションも最初は受付けてもらえず、
それならばと申し込んだエヴァセラピーも選考に落ちて。 

 

それでもこのセッションが受けたくて、
どうやったら受けられるのか研究して、行動して、

実際に受付けてもらうところまできたのに、
こんな結果になるなんて。

想像もしてなかったよね。悔しいよね…』

 

 

もう1人の自分が心の中で声をかけます。

涙はとめどなく流れ、やがて泣き疲れて眠っていました。

 


翌朝も思い出すとまだ涙が出てきます。

何もする気になれず、昼を過ぎても
寝室から出ることができませんでした。

 

夫には「気持ちよくなれなくてショックだった」と伝えました。

 

夫は「大丈夫やで」と頭を撫でてくれました。

でも「何がそんなに悲しいのかわらないけど」と本音もポロリ。

 

そうなんだ、わからないんだ、と苦笑い。

 

悲しくなるのは私の中に強い思いがあるからなんだろうな、
その強い思いはどこからきてるんだろうと
考えたりしました。

 


セッションを受ける前は、
様々な期待や不安が交錯していましたが、
結果的にセッションを通して現れたのは、

 

  • 自分が男性脳になっているかもしれないということ
  • 快感が感じられないという自分の体の状態
  • 子宮や胃の痛み

という課題でした。


自分が快感を感じられない体になってたなんて。

 

どういうことなんだろう、
これからどうしたらいいんだろうか…

ただただ呆然とする私。

 

同時に、こんなに悔しさを感じたのは
いつ以来だろう、
私が引き受けた役割は何なんだろう、

そんなことを考えながら、
いろんな思いが溢れてきて、
気持ちがぐちゃぐちゃになりました。

 

その感情をメモで走り書きしながら、
絡まった糸を解くように、

心に残った出来事、言葉を拾い上げ、
そこにどんなメッセージがあったのか、
みつめていきました。

 

 

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私の課題

男性脳になっている?

まず、男性脳について考えます。

 

女性としての才能を開花させたい、
気持ちよくなることを諦めたくない、
そう思って行動してきた自分のこれまでを振り返った時、

セックスの知識を増やし、分析し、
罪悪感を手放してセックスを楽しめるように
環境を整えてきたことは、
私の中の未熟だった男性性の立ち上がりだったと思います。

 

その結果、女性としての瑞々しい感性を
どこかに忘れてきてしまったのでしょうか。

男性性とは、性別に関係なく全ての人の中にある性質で、行動し結果を出す、「成し遂げる」力。女性性は、五感を味わったり委ねたり、調和したり、「存在することを感じる」力。

 

でも、もしそうであっても、
男性性を鍛えてきたことを
否定的に捉えたくはありませんでした。

むしろ、女性が男性性を立ち上がらせることは
とても重要なことだと考えているからです。

 

なぜなら、ただ相手に身を委ねるだけでは、
自分の幸せが相手の力量や気分に左右されることになり、
とても不安定な状態に身を置くことになるからです。

それは依存と支配を生み出し、搾取を招きます

 

だから、男性性を押さえるのではなく、
まだうまく発揮できていない女性性を呼び覚まし、
自分の中で男性性と女性性を統合させること
なんだろうと思います。

 

でも私が発揮すべき女性性って何だろうか?

自分の心の声を受け止めてるはずなんだけど。

 

よくわからないので次の課題へ。

 

 

快感が感じられない?

次に、感じられないという課題。

感じられないなんて、自分の体に絶望を感じました。

 

性欲がなくなり、クリトリスが引っ込み(?)、
私は枯れてしまったのだろうか、という焦り。

 

歳なのかと思う一方で、私より年上の方が何人も
女神のセッションで素晴らしい体験をされているし、

アダムさんの本には70代でも
性生活を楽しんでいるご夫婦も登場する。

 

年齢を理由に自分で可能性を
制限してはいけないなと、思い直します。

 

たまたま今の体が感じにくい「状態」に
なってるだけで、きっと改善する方法はあるはず。


改善すべき鍵は、痛みの出た
子宮や胃にあるのだと思います。


子宮は怒りや悲しみなどの
感情を溜め込むからね、とアダムさん。

 

これは私も同じことを感じていて、
さらに、自分の感情だけでなく、
何代にも渡って脈々と受け継がれてきた、
女性たちが大切にされてこなかった負の感情も、
刻まれているように感じています。


性への罪悪感はすでに手放しているので、
あとはひたすら自分に喜びとリラックスを
与えていくことが大事なのだろうなと。

 

でも、そんなことはとっくにわかっていて、
それを与えてくれるのがセックスだと
思っていたのに。

 

一体どうすれば?

 


そういえば、子どもがまだ小さくて
毎日に追われていた頃、

 

「楽しく会話したい」

「笑顔と感情を取り戻したい」

 

と思っていたことを思い出す。

 

そう思っていたことすら、
忘れてしまっていたけれど。



脳が興奮してない?

「脳が興奮してないんだよね」の言葉。

これも、どういうことなんだろうと考えます。

 

興奮していないということは
刺激が必要なんだろうか。

 

でも刺激はだんだん慣れて、
より強い刺激を求めたりするから、
なんか違う気がする。

 

そんなことを思い巡らせていると、
ある方の言葉を思い出しました。

 

麻痺すると刺激と感動がわからなくなっちゃうのよね。
刺激は外からやってくるもの、
感動は内側からやってくるもの。

 

食事はいのちのある物を食べることが大事、
という話の中での言葉です。

刺激と感動は違うのだと。

 

刺激のものを取り入れると、
意識が外に向き、
外側にいろんなものを求めるようになる。

内側から感動がやってくるものを取り入れると、
内側とつながっていくようになる。


私に必要なのは、
外側からの刺激なのではなく、
内側からの感動なのでは、とハッとしました。

 

あぁ、そうか、私には感動が足りないんだ。

 

 

感動とは、心が動くこと。

 

刺激を受け取って内側へ響かせる力であり、
外に向かって伝えることでもある。

 

「感じる力」「表現する力」
でもあると思います。

 

様々な刺激をキャッチする能力はあるけれど、
それに対して反応したり表現することは、
これまでブロックしていたことかもしれない。

 

感情表現が苦手なのだ。

 

セッション中にアダムさんに感想を聞かれた際に、
うまく答えられなかった場面が
何度もあったことを思い出しました。


絡まった糸が徐々にほどけていくような感覚。

 

 

 

表現することへのブロック

私の中でまだ残っていたブロックは、
感情を表現することへの抑圧でした。

 

胃(第3チャクラ)の痛みは、
評価されることへの恐れからくるもの。

評価が怖くて表現ができないんだ。

 

それがどこからきているのか、
比較的すぐに思い出すことができました。

 

母との関係ばかりに注目して見落としていましたが、
親戚や2人の兄との関係でした。

 

子ども時代、
親戚という狭くて重いコミュニティが苦手でした。

 

過干渉と嫉妬と陰口で、
お互いを監視し合う大人たち。

 

そんな空気は子どもにも伝わり、
「○○(名前)のくせに!」
「10年早いんじゃ!」と、けなし合うことが
コミュケーションなっていました。

 

私自身もまた、年下のいとこに向かって
同じ言葉を投げていました。

他のいとこたちと同様に、
そのような表現しかできなかったのです。

 

そんなやり方は家庭の中にも引き継がれ、
私はいつも兄達に言動の揚げ足をとられ、
虐げられていました。

 

反抗したこともあったけれど、力でも口でも、
どう頑張っても勝てるはずがありません。

 

悲しみのやり場がなかった私は、
やがて自分が傷つかないように、
また兄たちに揚げ足を取られないように、

「感じること」「表現すること」を
ブロックしていきました。

 

高校生の頃には、スカートをはいただけで

 

「なに色気付いてんねん」

「エッチくさいかっこしやがって」

 

と言われ、感情表現に加え、
女性らしさを表現することも、
抑圧していくようになりました。


このような出来事は、
決して私だけの特別なものではなく、
程度の差はあるものの、
比較的どこにでもあることでしょう。

 

でも、そういう日常や無意識の言動の中にこそ、
人々を抑圧させる働きが浸透しているのだと思います。

 

 

 

家族の反応

 

今回のことで私が泣いている時、
子どもが部屋に入ってきました。

 

私を見てどう思うんだろうと様子を見ていると、
「お母さん、泣いてんの?めっちゃ目腫れてるやん」と
気づいたものの、しばらく普通にやりとりした後、
自分の用事に戻っていきました。

 

夫の対応もそうでしたが、
泣いててもバカにされることもなく、
変に気を遣われるでもなく、
変わらずに接してもらえることがありがたかった。

 

しかも、子どもたちはお腹空いたといいながらも、
自分たちでなんとかしてくれて、
そのお陰で私は気がすむまで泣くことができました。

 

 

私が子どもの頃、泣くと怒られたしバカにされて、
それが嫌で、悲しい気持ちを押さえ込んでいました。

 

でも、押えきれなくて、苦しくて、
よく泣きじゃっくりが出ていました。

 

泣き止んでもしゃっくりがなかなか止まらなくて、
するとまた悲しくなって涙が出てくるんですよね。

 

そんな昔のことを思い出しながら、
あの頃のように我慢も隠すことも
しなくていいんだなと、
ただ静かに、体から起こってくる反応に
身を任せていました。

 

そして、もう感情を表現しても、
あなたは安心・安全な場所にいるのですよと、
言われたような気がしました。

 

これからは素直に感情を表現していい、
そんな合図にも思えました。 

 

 

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